2025年4月19日土曜日

狂人石(岐阜県高山市)


岐阜県高山市桜町 櫻山八幡宮境内



相当腕白であった私さへ、何となく薄気味悪くてこの石に敢て触れることを憚ったものである。勿論、誰れが言ひ出したのか知らないが、この石に触れると気狂ひになったり、瘧をふるったりするといふのである。別に神秘的伝説といふやうなものもない。ただそれだけの言ひ伝へなのである。もっともこの辺には天狗が住ってゐて、御機嫌に障ると石段の上から、なげ落すといふことも一般に信じられてゐたし、実際に子供が石段の中程からなぜ落されたが、少しも怪我をしてゐなかったのを見たと語った老人もある。

福田夕咲「祟り石の話」『ひだびと』第4年(4),飛騨考古土俗学会,1936-04. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1491863 (参照 2025-04-19)
※旧字体を新字体に直した。


櫻山八幡宮は、仁徳天皇治世期に両面宿難追討に来た難波根子武振熊命が応神天皇を奉祭したとも、聖武天皇治世期に八幡信仰の影響を受けて創建されたとも、大永年間(1521~1528年)に岩清水八幡宮から分霊を授かり勧請されたともいわれる。

その櫻山八幡宮の境内末社に、元和9年(1623年)、高山城鎮護の神として飛騨領主金森重頼によって創建された秋葉神社が鎮座する。秋葉神社の社殿北側に存在するのが狂人石である。

神社境内にあって聖なる岩石の感ありだが、神宿るとか祭祀されている事例とは一線を画す。畏敬を通り越した畏怖・忌避の対象としての岩石と言える。


2025年4月12日土曜日

いぼ石/いぼ神様(岐阜県恵那市)


岐阜県恵那市中野方町

2010年撮影

中野方の福地境と、大峰に天然水のたまったくぼんだ石がある。その水をつけるとイボがとれるといういい伝えがある。

恵那市史編纂委員会 編『恵那市史』恵那のむかしばなしとうた,恵那市,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536746 (参照 2025-04-12)

現地看板によれば、雨水がたまって木の葉などが溶け込んだ窪みだったので、水は腐って真っ黒だったという。それがなぜかイボや皮膚病に効くということで、「いぼ神様」として神格化に至った例である。

1993年、峠道が二車線に拡幅された際にいぼ石が道にさしかかってしまったため、いぼ石の上部だけを切り取って車道脇に移設し、昔のよすがを偲ぶ措置がとられた。


2025年4月6日日曜日

「情報募集中」の場所を最新の内容に更新しました

当ブログで古くから呼びかけをしている「情報募集中」のページを更新しました。

この数年間に生まれた各種の謎についても追記しております。


【情報募集中】探しています

私は、インターネットで多くの方々から得難き情報をいただき続けてきました。

そのうえでさらなる情報を求めるのは欲張りですが、まだまだインターネット上でお会いできていない先達の方、地元の方がいらっしゃると信じています。

私なりにまとめた情報もたまってきて複雑怪奇となっていますが、お時間が許しましたら内容をご覧いただき、お持ちの情報をどしどしお寄せください。


小六石(長野県諏訪郡富士見町)


長野県諏訪郡富士見町境

 


 昔、武田信玄の家臣に牧場田小六という人があり、天文年間の甲越戦争の際、この地に小屋を構えて居住し、農耕のかたわら諏訪側の状況を偵察、この小六石を目標とさせ、やがて来る甲州軍の使者に情報を伝える使命を帯びていた。この牧場田小六の名前をとって小六石といっている。また、小六という部落名もこれからとったと伝えられている。
 別の話として享保時代名僧が、旅より旅へ托鉢してこの地に足をとどめた。ちょうどこの地方に悪質の病がはやり、僧はこの石の上に三七、ニ十一日の間座ってその病気の祈祷をした。石の部分の穴は、僧の精神の集中力が汗と化し、その汗のひとつひとつが固い石をうがったといわれている。

諏訪教育会 編『諏訪の近現代史』,諏訪教育会,1986.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9540456 (参照 2025-04-06)


現地看板には「岡田小六」の名で記されており、名前には揺らぎがあるようだ。

前段の武田家の伝説は特別視の対象としての岩石であるが、後段の石を穿つ伝説は構想が祈祷に用いた祭祀の場としての岩石であり、堅固性の象徴である岩石を逆手にとった精神性が石肌の特徴と絡めて伝承されている。


2025年4月1日火曜日

「石を持ってみた」掲載(『パッション』第76号)

四日市市文化協会発行の『パッション』第76号に、「路傍の自然石考⑯ 石を持ってみた」が掲載されています。

冊子体は四日市市文化会館などで頒布しています。