2026年7月19日

力釘石/弁慶の力釘(奈良県吉野郡吉野町)


奈良県吉野郡吉野町吉野山 吉水神社


石の長者、木内石亭による石の博物誌『雲根志』に登場する石らしい。


力釘石
大和國大峯山の梺にあり諸書に出るゆへこゝに略せり
木内小繁 著 ほか『雲根志』上巻,日本古典全集刊行会,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1259959 (参照 2026-07-19)


江戸時代、すでに有名だったことが窺われる。

しかし、詳細が略されたことで現在においては逆に追跡しにくい存在となりうる。幸運にも本石は吉水神社境内に存する「弁慶の力釘」と呼ばれているものを指すと考えられている。


大峯山の麓、力釘石は吉野郡吉野町吉水神社に弁慶の力釘石と言われているものを指すのであろう。苔むしたさしわたし70㎝程の緑色砂岩中に今はさびた鉄釘二本が打ち込んである。弁慶が力自慢のために打ち込んだものだと伝えられている。
日本地学研究会・地学研究編集部 編集・監修『地学研究』23(1/2),日本地学研究会,1972-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3222588 (参照 2026-07-19)


義経たちが潜んだ吉水神社は、当時は吉水院という修験者の寺で、瀬古川の渓谷の上の小高い地点にある。境内には「弁慶の力釘」とか「義経の馬脚跡」などの遺跡が点在
大塚雅春 著『歴史風土記』,潮出版社,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12207844 (参照 2026-07-19)


義経の馬脚跡はおそらく岩石に蹄状の窪みが残った岩石と目されるが、探訪当時は存在を知らず見逃した。

釘を埋めた奇石に比べると知名度に差があり、それが同じ自然石でも文化の伝承具合に軽重が見られる一因となるようである。

力釘石/弁慶の力釘(柵内)

2本の釘穴


2026年7月12日

NHK松山放送局「ひめDON!」出演のお知らせ

NHK松山放送局の制作番組「ひめDON!」で、愛媛県大洲市の粟島神社が取り上げられます。

「巨石の上の神社」ということで取材協力いたしました。

制作の方々には文献調査なども精力的に取り組んでいただきました。おそらく従来の粟島神社の評価から一歩進んだ最新情報を提示できているのではないかと思います。


愛媛ミステリー〜巨石の上の神社〜 | ひめDON!


  • 放送日:7月17日(金)19:30~19:57
  • 放送局:NHK松山放送局(愛媛県内のみ放送)
  • 後日配信:NHK ONEで放送後1週間配信(NHK ONE契約者は視聴可能)


視聴方法が限られていますがよろしくお願いします。

2026年6月28日

Google広告の自動最適化をオフにしました

6月27日からGoogleが Ad intents という自動広告を当サイトへ掲載してきました。

検索バーのような形の広告が、サイト画面上に表示されるタイプです。

試しにリンク先を踏んでみたら、ブラウザがウイルスに侵入されました系の詐欺サイトへ誘導を食らいました。


そこで即、この Ad intents が掲載されないように対応完了したことをお知らせします。

なお、簡単に掲載オフできず多少勉強しました。試行錯誤したため、同じく悩まされているサイト管理人の方々に向けて以下対応方法を記しておきます。


対応したこと

  1. GoogleAdsense管理画面の「最適化」タブ→「テスト」タブ内に Ad intents が6月27日から自動作成・自動配信していることを確認(Googleがどんな広告が良いかというテストを自動的にしている)
  2. Ad intents のステータスを「オリジナル」に選択することでテストを停止。
  3. 今後、Googleが勝手にサイト内に自動広告を新規に作らないように、「広告」タブ→「サイトごと」→右端「編集」ボタン→「自動最適化」タブ→自動最適化を「オフ」


Googleに限りませんが、こんな詐欺サイト広告を承認して、自動で広告配信する時代はつくづく狂っていますね。
(しかも、掲載オフがやりにくいように設計されている)

私の目が黒いうちは、このようなユーザーエクスペリエンスを侵害するような広告設定は手動でオフにし続けていきます。

広告業者も毎日増殖していて、いたちごっこに際限はありません。完璧に防ぐことはできないかもしれませんが、当ブログ記事が読みやすいように良心的なサイト運用を心がけています。


本サイトの広告ポリシーについて

本サイトでは、ページごとにウインドウが出てくるようなオーバーレイ広告・全画面広告を閲覧の邪魔と考え、管理者権限で非表示設定としています。その分、ページの脇に表示されている広告(Google AdSense)をクリックいただきますと当サイト管理人に些少の謝礼が入りますので、当サイト運営継続のために応援をいただけますと幸甚です。


高鴨神社の大黒石(奈良県御所市)

奈良県御所市鴨神

境内に大黒石と刻せる黒色烏帽子形奇石あり。
奈良県南葛城郡 編『奈良県南葛城郡誌』,南葛城郡,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/980729 (参照 2026-06-28)


2026年6月14日

文献紹介『祭祀遺跡とは何か』(穂積裕昌著 2026年)


穂積裕昌氏の新刊『祭祀遺跡とは何か』(雄山閣)が2026年4月に発表されました。

穂積氏は「水の祭祀」の代表的遺跡として知られる、三重県城之越遺跡の発掘調査に携わった考古学者として知られます。

本書はその書名が題するとおり、特に弥生・古墳時代の祭祀遺跡の最新総説として読むことができます。


第1章 「祭祀遺跡」の誕生
祭祀遺跡概念の総合研究史。この章を読むだけで最新の祭祀遺跡の知見を一気に習得。

第2章 神と死者、そして祖
第1章の最後で論点に挙がった「祖」が古墳時代祭祀のキーとなる。祖、上祖、葬と祭の関係。大陸・東アジアのスケールで日本列島の祭祀を検討。

第3章 弥生時代の「祭祀遺跡」
弥生時代の大型建物、銅鐸を代表とする青銅器埋納、弥生時代の遺物に刻まれた絵画文様。これらが祭祀と言えるのかどうかの論点整理。

第4章 創祀の契機
穂積氏が力点を置く、奈良時代文献群から当時およびそれより前の時代の祭祀観念を読み解く章。

第5章 儀礼の場
第4章より明らかとなった、祭祀の前段として行われることのある卜占・誓約を考古資料で見出す。

第6章 荒ぶる神への対抗
奈良時代文献、特に風土記を紐解き、祭祀遺跡が設けられた祈願目的の解明に踏み込む。

第7章 井泉への信仰と祭祀遺跡
穂積氏の専門とする水の祭祀遺跡を取り上げた章。井と泉の具体的分類と、山岳、河川、集落内など様々な場における考古資料の列挙。

第8章 磐座・磐境・神籬の成立
岩石信仰においては最も注目すべき章。これまでの古典的見解の焼き直しではなく新知見に富む。特に磐境に関しての論説が充実しており研究史に刻まれること確実。

第9章 祭祀遺跡と建物をめぐる諸問題
第3章で提起された弥生時代大型神殿説の検討から、弥生時代における大型建物と井泉の親和性から祭祀の場の萌芽を評価。政治・権力の場における祭祀と自然の地霊に根差す祭祀の2系統から最終的に神社祭祀につながる道筋を論証。

終章 祭祀遺跡から神社へ
弥生時代における地霊・穀霊への祭祀、古墳時代における荒ぶる神への祭祀と守護者としての神の祭祀と大陸由来のその祭祀と人格神化、それらの系統が祭祀遺跡から神社へ発展していくという歴史観を提示。


詳細は同書をご覧いただくとして、本記事では岩石信仰の範囲に限って、私が読みながら思ったことを記録します。


まず、穂積氏の専門領域である「水の祭祀」における岩石の扱いです。

城之越遺跡は日本庭園の源流とも表現されるような存在ですが、遺跡内の立石と石敷については「聖」と「美」の関係で悩ましい存在でした。

もちろんサニワ(斎庭)の観念があることから、庭と祭祀の場が矛盾しないことは承知していましたが、人工的に立てたいわゆる配石遺構と、自然の地表から露出した大地の働きとしての自然石岩盤との差異があったのかどうかという問題です。

風土記には、人と大地(地霊)の相克と表現できるような、地霊の討伐に関する記述が指摘されています。では古墳時代以前ではどうだったでしょうか。

岩石という素材においても、石材、古墳、祭祀遺跡の分布を見ると、採られて石材化した岩石とどうやらそうならなかった岩石に分かれるようです。

石を立てて立石にしたら、外形的なイメージからその岩石を憑依物としての磐座として認定して良いと言えるかは微妙です。大地に根差す自然岩盤の磐座と同じかという躊躇があり、自然に根差さなくても人が人工的に設置したら同機能となると言っていいのかは、まだ慎重に検討されるべき課題です。


城之越遺跡は湧水点である井泉1~3を有し、数多の石敷が構築される中で、井泉3だけは貼石がないなどの差異も有します。このように「規格的」ではない自然のランダムさを内包する解釈の難しい遺跡ですが、発掘を担当した穂積氏の最新の見解が本書の祭祀遺跡論の随所にちりばめられています。

このような井泉遺構の貼石や集石について、本書では奈良県纏向遺跡辻土坑1は祭祀の廃棄跡とみなすほか、鳥取県茶畑山道遺跡の集石群を水溜めとみなす解釈も勉強になりました。

岩石が整然とした意図的配列なのか無造作なのか、その判断基準をどのようにみなすとよいかは気になるところです。


そして第8章の「石の祭祀」です。

磐境について、ここまで具体化できるとは考えもつきませんでした。読後感として、磐境の位置づけに異論ありません。

三ツ寺Ⅰ遺跡の石敷遺構は磐境と同種の「聖域表示施設」だろうと拙論でもぼかして匂わせることはあったものの、はっきり書くことはできないままでした。磐座以上にアンタッチャブルだった磐境を今後議論の俎上に載せやすくなったと言えるでしょう。


一方で、磐座・磐境中心の分析で石神への検討が少なかったように思います。拙稿にも言及をいただきましたが、私が磐座・磐境・石神に限らずそれ以外の岩石の機能を提示した論旨が本書で検討されていないのは、穂積氏があくまでも古典に立脚するという姿勢だったためだと理解しています。

私は、最大公約数的に全時代全地域でこのような岩石の使われ方が想定されると提示したので、各時代のアプローチにおいてどうだったかは演繹的に検討せざるを得ません。古典に立脚する立場をとる以上、文献に現れない名称・用語は機能としてカウントしなかったのでしょう。


穂積氏は磐座遺跡認定の可否の一例として、福島県建鉾山遺跡の高木地区の御宝前奥にある巨岩を「磐座」遺跡とみなさず留保する立場をとりました。

山頂の建鉾石については、巨岩上に登らないと認識できないという点で当時の人々が岩石の上まで登って祭祀したかというと同じく疑問ですが、巨岩下の高木地区まで留保するのは私には意外でした。


私も批判的に自然石と祭祀遺跡の関係を見る立場ですが、高木地区の現地に立って感得するのは、巨岩が見えそうで見えない位置に御宝前と呼ばれる空間が位置することです。絶妙な位置と表現したいです。

高木地区の遺物出土地点に立つかぎり巨岩の姿は見えませんが(植生・繁茂の状況によっては見えるかも)、わずかにでも山側に歩けば1分もたたず巨岩が姿を見せるので、さすがに高木地区は巨岩の認識ありきで、あえて巨岩から離した場所に設けた、あるいは、御宝前に散らばる岩石群を「目印」「境界」として形成した祭祀遺跡と評価しています。

(私は、聖山と崇める契機に山中に立ち入った前史があり、山中に神の顕現を認めた結果、それ以後は山中奥深くに立ち入らずに山腹・山裾・山麓で祭祀を行ったという立場です)


このような距離のとりかたを以て、離れた場所から祭祀する岩石を「石神」候補たりうるものと仮定しています。

深澤太郎氏「高木地区の磐座群」『國學院大學博物館研究報告』41, 2025年)では、高木地区に散在する大小の岩石群を俗と聖を分かつ境界としての「磐座」とみなしているようですが、空間的な広がりを持つ岩石群ですので「磐境」とも言えそうです。

石神を直接見ないようにするという意味では、これも穂積氏が本書で重視した「遮蔽」の場と言えます。

御宝前が遮蔽の磐境の空間とするなら、遮蔽物の奥に控える一大巨岩は磐境ではないことは自明で、目の前で神迎えして祭祀の装置とすることが前提の磐座でもなく、それらの可能性が除外された先にある石神という指摘が初めて浮上します。石神は遺物出土地域から外れる特徴を備えるという想定も可能かもしれません。

柳田国男・折口信夫が石の話をしながらも「磐座」の語に重きを置かなかったように、石神を含めた多様な岩石信仰を想定することは重要かと存じます。


私自身、考古学の最新の知識をアップデートできていないところが多いので、本書で多数の遺跡の存在とその考古学的解釈を勉強することができました。

それら祭祀遺跡から見えてくる神祭りの姿を本書は描き出しており、資料第一主義が貫かれた全体の論旨に賛同しています。

記紀・風土記の利用においても慎重に慎重を重ねられており、大略、当時の人々の心を抽出することで古墳時代に援用可能とする見解は、私も今後の研究においてより奈良時代文献を用いていく励みとなりました。

皆様におかれても本書を通して最新の祭祀遺跡の知見を得られることをお薦めします。


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