『地質と文化』第5巻第1号(2022年)に投稿した、
「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか ―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―」
が文化地質研究会論文賞を受賞しました。
今後も研鑽に努めます。
本論文はpdf公開されております。下のURLからどうぞ。
『地質と文化』第5巻第1号pdf(拙論はpp.1-71です)
『地質と文化』第5巻第1号(2022年)に投稿した、
「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか ―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―」
が文化地質研究会論文賞を受賞しました。
今後も研鑽に努めます。
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『地質と文化』第5巻第1号pdf(拙論はpp.1-71です)
大慈山岩屋寺は尾張高野山の通称で知られる知多四国霊場屈指の古刹であり、岩屋山中腹に存在する岩窟を中心に奥之院の行場が築かれる。
弘仁7年(816年)、弘法大師が百日の護摩修法の後に、岩窟の岩穴へ聖観音を安置したという。自らの像を納めたことから身代大師と称した。
岩窟を取り込むように本堂が構築されている。日中仄暗く全貌は把握できないが、奥の院の主体は建物ではなくあくまでも岩穴であり、堂の背面は岩肌が剥き出しになっている。
拝堂と本堂の間に弘法大師御腰掛石があることを後で知ったが、確認し逃した。
| 堂内の岩肌露出部分 |
参考文献
岐阜県中津川市苗木
長さ約6mの自然石の下に形成された隙間を使って仏をまつる窟とした。
側壁は人工的に石積みをして補強されている。
天井石は通称「傘屋根」と呼ばれており、張り出した胴部を巡るように幅・深さ共に十数cmの溝が刻まれている。これは、雨水が岩窟内に入らないための仕掛けと考えられている。
| 周囲には摩崖仏や供養塔も存在。 |
| 傘屋根に刻まれた溝 |
| 堂内側壁 |
創建時期は不詳だが、堂内や境内には宝暦10年(1760年)製作の観音、天和3年(1683年)没の雲林寺五世一桂和尚造立の地蔵尊、元禄年間(1688~1704年)造立の供養塔などが現存することから、おおよその隆盛期を窺うことができる。
| 日輪神社の山容 |
| 日輪神社社殿と裏山 |
| 裏山頂上(丘陵尾根先端部)に確認できる岩石1個 |
| 本殿向かって右脇 |
| 太陽石と目される岩石(写真左奥のブルーシートは本殿工事中) |
| 社頭に置かれた岩石。盃状穴(杯状穴)のような穴が数箇所開けられている。 |