2016年6月18日土曜日

草野心平「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その2~

――庭の樹木の全部をひつこぬいてしまひたいと思ふ。そしてずしんと大きな石を、それも何丈かある石を一つだけ埋めてやりたい。
庭の作り方を考え続けた草野心平が最後に辿りついた境地が上の文である。

自然の山とあえて区別するために、庭には人工的な造作を込めて作る。
それは木の種類の選定から、木を産める位置、木の数に至るまで、人の意思が介在する。

しかし、ややもすると庭にあれやこれやと多種の木を植えてしまうことで、「乱然」で「幼稚」な庭の世界が完成する。

草野が行きついた境地は、このような足し算的発想とは対極の引き算の発想である。
木を植えない庭ということになるが、その代替案として草野が提示するのが「石の庭」である。

草野は「竜安寺以外に石の庭はあるのだらうか。ないとしたならばどうしてないのだらうか」と疑問を呈する。

その難しさを、草野は自分自身でたとえようとする。

いわく「石を、庭のまんなかに一つどつかとおくことはをかしな話でもなささうである」と言いながらも、「私の現実はその実行よりはずゐぶんとほい」と評し、その理由を「今晩のおかずは何んにするか」「せつかくとつてきた苔もまだそのままだ」と、自らの現状の雑念や足し算的発想に求めるのである。

自分が欲してつくろうとする庭を、石一つに託せるかどうかという気持ちの問題である。

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