――いま私は石を研究の対象としようとしているのではなく、石のなかに一つの人生を見たいと思っているに過ぎないのです。
上村貞章は、石を見ることで、石を見ている人間の「欲情」や「私自身」が見えてくるという。それをまとめて石は「人間の模造品」と評す。
上村が呈する石の魅力は以下の点である。
- 夜の石のたたずまいや、雨風にさらされている石は、木石ならぬと形容される人間よりも立派である。
- 草も木も人もいなくても、石があるだけで落ち着くさまは、かえって人の醜さを浮きだたせる。
- 人の意図が入った石庭などではなく、人の手が入っていない石にこそ美しさがある。
- 石ほど、濡れて美しさを増すものはない。
- 机にすえて眺めるもよし、掌の上にのせるもよし、石のそばに佇むもよし、石を見に行くもよし。石の表情を見る楽しみ方はいろいろある。
これらの点から伝わるのは、あわただしく考え、動き回る人間と、まったく動かない石との対比である。
足し算的発想を「発展」ととらえる人間の価値観を全否定するかのように、石は引き算的発想の極致にこそ価値観があることを語っている。
夜になるのも、水に濡れるのも、周りに何もないのも、それが天の配剤であれば、それは人には全く見当の及ばない「表情」として映る。
石は、人とは完全に対照的な存在として描かれている。
石と人はまったく相いれない性質の存在だからこそ、石に対峙する楽しみかたは自由であり、おそらくは、その自由な選択をした結果見えてくる各人間のキャラクターが逆に映し出されるのだということを上村は語っているのではないか。
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