立石/メンヒル
巨石好きの間ではあまりにも有名なこの事例。
やっとお目にかかれることができ、素直に感動。
奥に立石山が控える
この立石は、生名島の石ではなく、海上運搬されたという看板が立っていることでも有名。
その割には、石質が書いていない。また、表面を見ただけでは石質はわからない(それくらい目視による石の同定は難しい)こともあるのにはっきり断言して良いのか。こういうのも批判的に見ていきたい。
立石山遺跡
生名島は、因島から車ごとフェリーに積んで移動できる。
(写真対岸が因島。フェリー移動時間5分)
山頂の立石山遺跡。大小の露岩が散在する。
磐座と名付けられ、一部に杯状穴・陽石・陰石との名称も当てられている。
命名時期・命名者は不明。
写真左手前が陽石
陰石。山頂から少しだけ北側斜面を下る。
規模もそこまで大きくなく、陰陽の関連性を認めるには説得力が足りない。
立石山遺跡は弥生時代の高地性集落遺跡の例として取り上げられることがある。
集落(軍事)遺跡と、祭祀遺跡の両立は十分あるが、ではこの露岩群がすべて祭祀用とは言えない。
もちろん、生活(軍事)用としてすべて見るのもよく分からない。
むしろ生活面と祭祀面を二分するのがナンセンスであり、同時に語られて初めて実際に即していると言える。
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