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2016年12月1日木曜日

平津豊『イワクラ学初級編』(2016年)書評

イワクラ(磐座)についての最新書となるので即購入しました。


著者の平津豊氏は、イワクラ(磐座)学会理事です。

正式な書籍タイトルは『ギザの大ピラミッド、ナスカの地上絵より精緻!地球最古の先駆け文明【イワクラ学初級編】縄文の壮大なる巨石モニュメント』(ともはつよし社、2016年11月刊)

長い(笑)
平津氏のブログ(10/30記事)を見ると、キャッチコピーは出版社がつけたそうですが、書誌情報泣かせですね。

ブログに先行公開されていた下の目次に惹かれました。
  • 「磐座」という言葉
  • 「磐境」・「神籬」という言葉
  • 「神奈備」という言葉
  • 「石神」という言葉
  • 「磐座」の分類
  • イワクラ(磐座)学会の定義
イワクラ(磐座)学会の最新定義も気になっていたので、この本で私自身のイワクラに対する考えもアップデートしておきたいと思いました。

用語解説テキストとして


まず、磐座・磐境・石神などの各用語については、先行研究を含め、詳しく調べられています。私も取り上げられていました。

表紙デザインとタイトルは、一歩引いてしまうぐらいのインパクトがありますが(私は損だと思っていますが)、用語解説は独自解説ではなく先達の積み重ねをなぞったもので、初級編に相応しい内容です。
イワクラ学会が2011年に刊行した、渡辺豊和編著『イワクラハンドブック』(イワクラ学会)にも同種の用語解説がありましたが、本書の方がより学史に沿った内容だと思います。

磐座・磐境・石神の用語の成り立ちと意味の違いを掴むために、イワクラ学会の教本テキストとして活用されていいのではないでしょうか。

イワクラの定義について


さて、本書が提示するイワクラの定義について、注目したいのは以下の記述です。

「エジプト、イギリス、南米などに存在した巨石文明が古代の日本にも存在したのではないか、という考えがイワクラ学会の根底にあります。 」(同書より引用)

学会の中でこういう共通認識があるのですね。
その根底があると、予め期待している結論のために、目の前の事象がすべてその方向へ積極的に評価されていってしまうのではないか、という危険性を感じてしまいました。

「この壮大な考えに対して『磐座』という言葉では、あまりにも窮屈なので、神の依り代としての岩石や信仰対象としての岩石を『狭義のいわくら』として、漢字で『磐座』と表現し、人工的に組み上げたり配置されたりした岩石を『広義のいわくら』として、カタカナで『イワクラ』と表現することにしました。」(同書より引用)

それまで石神・磐座を並列的に紹介しながら、なぜその2つを「狭義の磐座」と「磐座」でまとめてしまい、かつ、それ以外の岩石も含めた全体をまたもや「イワクラ」でくるむのか、先行研究を踏まえて導かれる論理としてはやっぱり厳しいと思ってしまいます。

たぶん、一度「イワクラ」を使ってしまった手前、後戻りできないのだろうとは思いますが・・・

理論や枠組みのクラッシュアンドビルトは、学問の常でもあるので、私なら英断します。
(私はかつでの枠組みである岩石祭祀学も聖石概念もつぶしました。分類も何回もぶっ壊して、再構築する作業に嫌になりながらも、今の考えに至っています)

イワクラの分類方法について


平津氏が提示する「イワクラ」の分類は次のとおりです。

A 神の依り代
 1 山上磐座の前で祭祀を行なう時代
 2 山上の磐座より離れ麓に社を建てる時代
 3 人が多く住む場所に神社を建てる時代
 4 山の中の磐座が忘れ去られる時代
B 古代の天文観測装置
C 古代の道標(ランドマーク・シーマーク)
D 古代の通信装置
E 古代の測量基点
F 結界石
G モニュメント

イワクラ学会会長の渡辺豊和氏が前掲書『イワクラハンドブック』で示した分類を元にしたものだと思います。
基本は、機能の違いで分けた分類となっています。

Aの「神の依り代」に、狭義の磐座と石神が収納されています。なぜ石神も「依り代」扱いとして一括されてしまうのか、私には分かりません。
先行研究を振り返った意味が、生かされていないのではと思います。

また、Dの通信装置やEの測量起点、GのモニュメントはCのランドマークとも言えるのではないかと思いますが、おおむねB~Gが狭義の磐座ではない「広義のイワクラ」と呼びたいグループになるのだと思います。
祭政一致の古代において、天文・通信・測量が自ずから祭祀要素を含んでいると仮定したら、祭祀の中で実用的な機能を担った岩石という点で、私の機能分類ではBE類型(祭祀遂行上必要な利器)に一括されます。

機能分類に見える中で、Aの「神の依り代」だけは、時代による分類基準も差し込まれています。
1つの分類に、2つ以上の物差しを入れると、重複や矛盾が生まれる危険性がありますが・・

時代区分については、すべてがこの A-1 → A-4 の順番と言い切れるのか、研究され尽くしておらず、批判の余地があると思います。

この分類に当たり、図版では山宮-里宮-田宮の構図が引用されています。この理論は柳田國男以来、古代祭祀を説明する仮説として流布されてきましたが、これは農耕民の山の神信仰であり、狩猟民・焼畑民など山の民が信仰する山の観念とは異なるとの指摘もあり、一面的な分類となってしまいます。
また、山宮-里宮理論では、時代的には里宮での祭祀が古く、山宮での祭祀が新しいという論理になりますが、この分類だと逆の使い方です。理論背景とかみ合わなくなるので、そこの説明が欲しいところです。

同じく、同分類の構築に当たっては奥津磐座・中津磐座・辺津磐座の考え方も取り入れられていることが図版から分かります。
この奥津・中津・辺津という概念にも批判点があります。神体山の研究では山麓祭祀が時代的に先で、これを「拝む山」と定義しています。一方、山中祭祀は後の時代になってからで、これを「参る山(登る山)」と定義づけています(池上広正「山岳信仰の諸形態」 九学会連合編『人類科学』ⅩⅡ、新生社、1960年 ほか)。
特に、本書で例に挙がっている三輪山については、奥津磐座・中津磐座・辺津磐座は鎌倉時代以降の後出概念という文献上の指摘もあります。

以上のように、「山上磐座の前で祭祀を行なう」ことと、「禁足地概念」「拝む山・参る山」概念の間には矛盾が横たわっています。この課題を解決してからでないと、分類としてはっきり線引きしてしまうのは私は恐いです。

ただ私も、「禁足地概念」「拝む山・参る山」概念は絶対的な価値観ではなかったと思っていますが・・・
(山に立ち入ってその山の恩恵や聖性を感じることから出発する信仰例もあったと思う立場です)

「偶然では片づけられない」から「人の手で構築された」という論理について


平津氏は、イワクラが自然形成か人工造形かの基準について、次のとおり述べています。

「自然に形成される可能性があるからといって、人工的に造られた可能性が否定されるものではありません。自然に形成するには多くの偶然が重ならないといけないのです。むしろ、人が意図を持って造ったと考える方が自然ではないでしょうか。」(同書より引用)

うーん・・・。
人によって「私には自然には思えません」と答えたら終わりの理屈です。
でも、主観の言い合いになってはだめなので、共にこう考えていきたいです。

・技術の証明。水平移動と垂直移動の方法。工具の説明。
・同時期の遺物・遺構との比較。
・母集団と生活遺跡(集落)の特定。
・集団規模から考えて、その事業が可能な集団なのか。
・その事業を行った目的。


基本的に、人の手が「ある」か「ない」かという証明になるのですから、人工的であるかどうかは人工造形説を唱える人が証明しないといけないと思います。
私に限って言えば、私は人工説を否定する立場ではなく、人工説に説得させられるのを待っているというのが正確なところです。怪しい点をなくしてほしいです。

現在と古代の天文環境をシミュレーション・比較して、イワクラの建設年代を導き出す手法が盛んですが、もはやそのような段階ではないと思います。
「それは自然だよね」と言っている人たちを納得させるぐらいの、明らかな物証が求められています。

平津氏は「古代にそんな大きな岩を動かすことができる技術はなかったということで思考停止しているのです」「古代人は現在人よりも劣っているという間違った常識に捉われてしまっているのです」と述べますが、逆に私は自然の力を軽視しすぎではないか?と思います。
自然にはこの光景は作れない、人間だから作れる…。これは、自然の営為が人間の業より劣っているという発想で、これもその人が囚われている常識と言えそうです。

個人的には、世界中の奇岩・巨石を知れば知るほど、地球には自分の常識を軽々と飛び越える自然が存在するなあと思うものです。

エジプトのピラミッドやナスカの地上絵は、その規格的な造形から人為性が明瞭です。均等な寸法の石材を四角錐に積んだ石造物に、明らかに生物を模した絵に曲線と直線の使い方も規格的だからです。
日本でも大湯環状列石などは規格性があります。中心に石を立て、その周囲を同じ長さの石で同心円状に横に並べ、更にその周囲を丸石で囲うわけです。

それを踏まえて、金山巨石群や唐人駄馬巨石群、鍋倉渓や葦嶽山の巨石群を比較してほしいです。
これらの巨石群に、カルナック列石群、チチェン・イッツァのピラミッド、サクサイワマンの石組み、モアイ像と比肩しうるような「規格性」が本当に見て取れるでしょうか。

人為とは無縁なランダムさがあることを、日本のそれらの事例からはぬぐえません。

金山巨石群は、巨石の集まりを駆使して様々な方向に人間が行けば、色んな天文現象の観測ができるということは分かりましたが、観測方法にまとまりのない感があるのは、これが自然の産物だからかと思ってしまいます。
夏至や春分を観測するのが1ヶ所ではなく複数のポイントに分散し、そのつど人間の立つ位置や姿勢も変わり、その観測の仕方も日光の差込だったり岩石のどの位置に太陽が来ているかだったり、巨石の積み重ねを装置にしたと思えば巨石に線刻を穿つ方法になったりと、統一感のある設計規格はなく雑然としています。
人間の意味付けのしかたは無限大ですから、規格性がなければどんな力技でも意味付けができます。

金山巨石群だけではなく、海上に浮かぶ伊勢の夫婦岩や愛媛県の白石の鼻でも、二至二分に関する現象が観測できるという話があります。
あそことあそこがつながる、図形ができるというレイ・ラインの報告も続々入ります。この数年でどれだけのレイラインが見つかったことでしょう。
逆にそれは、偶然ではできないと人間が考えている常識の枠の外を、自然の営為が軽々と越えているだけなのではないかと、事例が増えるほどに思ってしまうのです。

こう思ってしまう人を、ぶっとばしてくれるような研究を待ち望んでいます。
私自身、中1でチャーチワードの『失われたムー大陸』を読んでハマって、高3まで『ムー』を愛読し、オーパーツと日本ピラミッドと神代文字と古史古伝の関連本収集に勤しみ、その追求の結果、肯定したくても客観性の乏しさに失望した過去を持つ人間なので、否定したくてしているんじゃないんです。
ロマンとか、こうだったらいいなというものとは切り離して、真剣に、歴史を考えたいだけなのです。

アカデミズムをそんな敵視しなくても・・・

「日本の考古学者をはじめとするアカデミズムは、これを認めていない。縄文時代に高度な文明があっては都合が悪いらしい。」(p77-78)

「考古学界等のアカデミズムからは攻撃されたようである。」(p102)

ところどころ、考古学界が悪者として登場します。
「アカデミズム」と呼ばれて批判の的にされることが多いのですが、同じく歴史を研究する同志なのですから、お互い協調できると良いですね。
陰謀論のように敵役を作るのは簡単ですが、実際のところ、考古学界はアカデミズムという一枚岩の秘密結社ではないですし。

むしろイワクラ学会も、会長を頂点として成り立つ組織であるかぎり、権威とは無縁の存在ではいられない。集団であるかぎり、そういうものだと思います。

考古学、意外と悪くないですよ。
特に考え方や方法論は、歴史学研究の中では最も石橋を叩いて歩く感じで、その慎重さが歴史に対して失礼ではないので、私は好きです。
毎日のように遺跡と遺物を目にして、地味な発掘も測量も実測も数十年行っている職人に、門外漢がイメージ先行でバッサリ切るというのも失礼な話です。

誰しも自分の専門を、専門外の人からイメージ先行で否定されたら、たまらないと思います。

縄文時代の生活の実情を知るために、センセーショナルな見出しが書いてある一般書ではなく、縄文時代の集落遺跡と遺物に関する論文集や報告書を読まれることをお薦めします。
今なら、リポジトリも各機関が豊富に公開しており、閲覧は楽です。何も隠されてはいないのです。
高度な文明があると都合が悪いといった議論ではないことを、知ることができると思います。


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