2017年8月7日月曜日

うごめく石 異界へのドア~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その7~

なぜ、岩石は磐座や磐境として、異界との境を示すものとして信じられたのか?

これを哲学的な側面から補強するのが本章である。

異界の一つとして、冥界がある。

――石化の恐怖とは、死の恐怖である。(中略)石はすべての生命あるものがあらわれてくる場所であり、消えてゆく場所である。地球上の最初の物質であり、最後の物質である。

石化の夢想は、バシュラールも頁を割いて取り上げているテーマである。

「ときには、生気のないものを眺めていて、逆にこの意志のとりこになることがある。石、青銅、つまり物質の基盤そのものにおいて不動である存在が、突如として攻撃にうつるからである。」

「たとえば彫像とは、人間の姿で生まれようとしたがっている石であると同時に、死によって動けなくされた人間存在でもある。そのとき彫像を眺める夢想は、不動化の作用と運動を惹起する作用の律動にのって活動するのだ。夢想は死と生の両面価値にごく自然に身をゆだねるのである。」

「石化作用のイマージュに、氷結のイマージュや寒気のイマージュを比較するのは、まったく自然である。」
 ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3

石化とは、生を遮断するメデューサ・コンプレックスであるという立場だ。

――石は、多くの神話のなかで冥界と接触をもつ。

徳井氏は、その例として次の5つの例を挙げている。いずれも興味深い。
  • マレー半島のセマン・ピグミー族は、世界の中心にバントゥ・リブンという1個の巨石があり、その下に冥界があると信じる。
  • 旧約聖書には、ヤコブがある夜に石を枕にして寝ると、主から啓示を受ける霊夢を見た。「これは神の家である。これは天の門だ」ということで、以後、スコットランド王が即位の際に座るスコーン(スクーン)の石として現在玉座に組み入れられている。
  • ローマ帝国で一時的熱狂的に信仰されたミトラ神は、岩の塊から生まれた。短剣で神聖な子牛を殺すことで不死のものに浄化するという神だった。
  • 黄泉国神話の黄泉比良阪に置かれた千引岩
  • 鹿児島県下甑島では、人は死ぬ前に魂が村のはずれにある「手掛け石」にとどまった後、その北にある立石へ飛んでいくと信じられる。


「神は死んだ」の言葉で有名なニーチェは、スイスのジルヴァプラーナ村の湖を散歩中、ピラミッドのようにそびえたつ1個の岩塊に出会った。自然石である。

ニーチェによると、「そのとき私の身に永劫回帰の思想が到来した」と述懐する。

ニーチェは、あくまでも「到来した」と書く。
自らが編み出した、考え出したのではなく、石を見て、啓示を受け取ったのであり、それは確実なもので、選ぶ余地はなかったのだという。

この石から「圧倒的な力」を感じとり、その力から哲学的なインスピレーションを受けた自分のことは「単なる化身、単なる口、単なる媒体にすぎない」とした。
そして、同じ啓示をこの石から受け取った人は、数千年前まで戻らないといけないだろうとも述べた。

誰にでも再現性があるものだが、誰にでも再現できるものではないとも言える。

ニーチェはこの石を「聖地」と呼び、現在では「ニーチェの石(ニーチェ・シュタイン)」と呼ばれている。

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