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2017年8月7日月曜日
修学院守禅庵 岩石祭祀遺跡(京都市左京区)
※過去の記憶に基づくため、上の所在位置は正確ではない。
所在地:京都府京都市左京区修学院守禅庵
参考文献:京都大学考古学研究会 1994 「修学院磐座調査報告」『第45とれんち』
比叡山の西麓に修学院離宮・赤山禅院などがある修学院の地。その赤山禅院の北側に張り出している丘陵に、比叡山への登山道の1つが巡らされている。
その登山道口から約200m入った右手斜面に、岩石のまつり場がある。
この岩石に対して、京都大学考古学研究会(以下、京大考古研)が1993~1994年にかけて、遺物の表面採集や簡易測量を中心とした調査を行なっている(京大考古研はこの岩石を「修学院磐座」と呼称している)。
その調査成果は、京大考古研の1994年の機関誌『第45とれんち』に載せられている。
ここでは『第45とれんち』に報告されている調査結果をかいつまみながら、修学院磐座を紹介したい。
石質は黒チャート。横幅は約2.4m、高さは約2.2m。全体として台形~オムスビ形の形状をしている。
石は苔むして、注連縄が張られている。前面には、直立する竹を幣として、紙垂が付けられている。現在でも祭祀が続いていることを示す。
京大考古研が、この岩石周辺から地表面に出ている遺物を採集したところ、その数は359点に上ったと報告されている。
採集した遺物のほとんどは、岩石の前面1.6×2.4mの範囲から見つかった。
その下斜面からも若干数が見つかったが、これは原位置にあった遺物が斜面下にずれ落ちたものと思われる。
採集された遺物359点はすべて土師器皿であり、ほとんどは細片だったため、京大考古研が機関誌に詳細報告したのは19点にとどまった。
土師器皿の多くは皿内面の底部と体部の境に凹線を有しており、これは17~18世紀に岩倉木野で作られていた土師器皿の特徴と酷似しているという。
凹線の付け方や器形の特徴から、今回の土師器皿群は18世紀前半~後半に渡って岩倉木野で製作された土器群であると京大考古研は判断した。
「岩石の前面」という非常に限られた、かつ非日常的空間で1世紀間にわたって同じ器種の土器が散布しているという事実を考慮すると、祭祀用途以外の可能性を指摘するのは、甚だ不自然であると言えるだろう。
京大考古研の報告では、一部の土師器皿には煤が付着しており、祭祀の際に火が灯されていたのではと指摘している。
江戸時代の岩石祭祀を考える際の興味深い事例となるだろう。
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