――実際のところ、われわれも石を食べている。ビスケットのなかには絹雲母が、薬の錠剤には粘土の一種ベントナイトが入っている。毎日食べる塩も、もとはといえば岩塩という名前の石だ。
石を粉状にすりつぶして飲むことで、病を治したりご利益を得るという信仰は、この日本にもあったし、今もそういう言い伝えを残す場所が存在する。
神奈川県横浜市保土ヶ谷区にある「釜壇の石」などがそうだろう。この石を欠いて粉末にして飲んだり、石に付いた苔を飲めば咳や風邪が治るといい、願果たしの際は酒を入れた竹筒を供えたという。
このような話は極端な例で、常人の感覚では違和感しかない話だが、徳井氏はふだん食べているものに石が含まれていることを指摘し、私たちの固定観念を揺さぶりかける。
石と認識していないものが、石である。
それは、学問的な定義による石と、常識的なイメージでの石との差と言ってしまっても良いかもしれない。
「常人」や「常識」という言葉を使ったが、しょせんそれは現代人が今つくりあげたふわふわした観念であり、50年前、100年前、1000年前の常人と常識は、現代人と対話不能なレベルだったと覚悟しておかないといけない。
「釜壇の石」が登場したとき、はたして「釜壇の石」は「石」という認識だったのか?
名前に「石」を付けた人がいるからそれは石として固定化したのであり、もともとは巨大な薬の塊だったかもしれない。
「釜壇の石」の横に落ちている小石は、粉末にして飲まなかっただろう。
同じ石でありながらこの差があるわけだから、「石」という名前が現代に放つイメージにとらわれていては危険なのである。
――宝石のなかにみとめられた治癒力は、おそらく宝石を護符とみなすことと起源を一にしているだろう。 ヨーロッパにおける「天体の力を封じこめた宝石」への限りない信仰は、科学的思考が人類の範となったあとも、ひそかな伏流水となって流れ続け、一九七〇年代のアメリカでニューエイジ・ムーブメントとなって姿を現した。
宝石が天体とつながっていて、天上界の力を借りられるという信仰は、古代バビロニアからあったという話である。
中世の錬金術師は、石には霊が宿っており、石を割り砕いて、中に入っている霊を取り出すことで、金以外の物質を金に転化することができると考えたという。
石という固いものを貫く存在だから、他のあらゆる物体の中にも浸透し、その物質の性質を錬金化できる。
石の霊とは、そういう存在だった。
この錬金術師の信仰と、天体信仰はどう絡むのか?
天体が象徴化された一片が宝石だったとするなら、天体は創造主の作った一片であるから、その中に閉じこめられたスピリットは、宝石以外の石も同様に位置づけられたのかもしれない。
欧米で火が付いたパワーストーンの概念は、日本に輸入されて久しい。
日本固有の概念ではないものの、一定層に浸透している理由を、人類の先天的な石への心性に求めるべきか、後天的な知識背景に求めるべきかは、ここでは結論を出せない根深いテーマである。
――石から何かを受けとるだけではなく、石に何かを押しつけることでも癒しは成立する。毒や痛み、イボやコブといった歓迎されざるものは、石になすりつけて捨ててしまおうという発想は古くからあった。
日本各地にイボ石と呼ばれる石がある。
イボ石という名前が付いていなくても、イボやコブ、各種病に効くという石がある。
石を直接こすり付ける場合もあれば、石をさすってから自分の体をさする場合や、石からしたたり落ちる水をつける場合など、いくつかの変型がある。
小さい石なら、なすりつけて捨ててしまう使いきりタイプもあっただろうが、大きい石もあり、半永久的に使用されたタイプもあった。
徳井氏は、こういった石を「掃除機」と表現した。ただし、次の条件付きで。
――石が厄介なのは、掃除機のように中身のゴミだけをまとめてポイッ、とはいかないところだ。病やコブはのり移ってしまった。(略)というわけで、治療に使われた石は本当に地中深くに埋められた。(略)石を容易に拾ってはいけない、という俗信は、こうした信仰にも関連していたかもしれない。
石には、私たちにはあずかり知らない経歴がある。
石に霊力を信じることができなくなった現代の私たちは、せめて、石に経歴があることを知って、石を取り扱っていきたい。
石は、掃除機と違って、中を開けて、中に入っているものを見ることができない。
石に込められている力があるのかどうか、知ることができない。
基本的に石の内部も経歴も、目に見えないものだから、得体のしれない存在として石を見る人がいることを、認めても良いだろう。
実際に、戦後日本にも石が薬として売り出されていたことを徳井氏は紹介している。
作家の寿学章子さんが、京都の老舗・鳩居堂で購入した「蛇頂石」がそれである。黒光りした楕円形の小石だが、二個入りで昭和初期50銭の価格。効能書付きである。
蚊やノミから、ムカデ、マムシ、クラゲなど、あらゆる生物に噛まれた時に効く「毒虫の薬石」といい、寿学さんは子供のころムカデにかまれると、親がこの蛇頂石をちょっと濡らして患部に貼ったそうである。
「ただちに痛みはすーっとひき、やがてポロリと石はとれる」。
使用後は、石を水につけると、石からプクプクと泡が出た。
寿学さんは、それを「ムカデの毒をはきだしている」と思った。
泡=毒。
泡が出終ると、石をふいておけば、また再使用できるという「魔法の石」だった。
実際は、この石は人工的に調製された石であったが、鳩居堂はこの蛇頂石を今は販売していない。
"科学的には"効能なしと判断されたのだろう。
寿学さんは、大人になった今でも1個だけが手元に残っていて、「これがなくなったらどうしようとノイローゼになりそう」とのことで、次のように嘆息する。
――こんないいものをなぜ現代の医学は(西洋のでも東洋のでも、何でもいい)作ってくれぬのか。科学はある点で後退しているとしか思えないではないか。
石の見えない力への信仰は、遠い昔の、現代とは無関係の話ではない。
むしろ、科学技術が発達する近代化の歴史の中でも、そのつど新たな岩石信仰は生まれた。
「貫通石」はその一例である。
――かつて鉱山はなやかなりしころ、「貫通石」なるものが流行したことがあった。坑道をつくる際、両方向から掘り始め、貫通する直前に最後の石が残る。これは安産のお守りと信じられ、鉱夫たちの垂涎の的となった。
これは、石そのものの成分や外形というより、シチュエーションがなせる業かもしれない。
ストーリーを持つ石である、ストーリーも、結局は目に見えないし経歴をたどれないから、得体のしれなさが増す。
鉱山においては、最もステータスの高い石が鉱石であることは自明のはずなのに、鉱石を採る前の掘った道の残滓に、霊的な力が求められるのだから変な話である。
鉱石自体は、産業従事者の中で宗教的存在にまではならなかったが、神格化されない石の信仰が、別にあった。
鉱石に対しては、何が信じられたか。次のとおりである。
――「成長する石」のイメージは、しばしば植物の姿を伴っていた。採掘で鉱石が減少すれば、鉱山を再び土で覆い、植物的成長にまかせれば鉱山は蘇り、以前にも増して多くの鉱石を生みだすようになるとする考えは、古くからあった。プリニウスは、実際に「再生した」というスペインの方鉛鉱の鉱山を紹介している。
岩石の植物化。
ユングに言わせれば、石と植物は面白い対比関係がある。
キリスト教世界観の中では、創造主がつくった創造物のうち、植物は場所が動くことはない、神の世界を表現する装飾物。
生物は神の意思から離れて動き回れる神の小片。
そして石は、意図や規格性を感じるものもあれば、そう感じさせないものが混在する、カオスな存在。
ユングは、そのカオスさに心惹かれ、石を愛したといわれる。
今回の「鉱石の成長」信仰は、一見、ユングの価値観とは別系統に属しているように見える。
石自体が植物化して、人の意思どおりに石が増殖するわけであるから、石はカオスでも得体のしれないものでもなく、産業従事者にとって石は従順な存在である。
石と植物は異なる位相ではなく、同じ位相の中に位置付けられたわけである。
石を管理したい人間による、新たな岩石信仰と捉えることもできるのではないか。
ガストン・バシュラールに言わせれば、石を植物の比喩で語る文学者もいたわけなので、岩石は大地を象徴するもので、自ずから大地に根ざした植物が岩石と同質化されることも、ありうるのである。
大地が不動のように見えて不動ではないように、大地の象徴である岩石も、不動性と動性の両面を持っていておかしくない。
二面性や、相反する性質を両方内包する存在であるなら、そもそもその性質自体が動的と評価でき、石の堅固性や不変性の側面に惹かれる人もいれば、石に成長性を感じとる人も出てくるのだろう。
それが、岩石信仰を一言でまとめることをできなくしている理由ではないだろうか。
――石が子どもを産む、石が鳴く、石が動く・・・・・・といった現代の科学には笑止そのものの話を、人は驚くべき執着をもって、何十世紀ものあいだつくり続けてきた。ある朝、誰かが思いついたといった類の話ではないことは明らかだ。
江戸時代の「石の長者」木内石亭は、「子産石」という奇石を所蔵していた。
丸い石だが、ときどき、小豆のように石を産むのだという。
石を産んだあと、産み穴などは子産石には空いておらず、いくつもの粒が産まれているというのに、元の母石の重さは変わっていないのだという。
石亭は、自らの目で「たしかに見ゆることなり」「奇というべし」と記している。
石亭は、奇人なのか?
(石が好きな時点で奇人というのは禁止で・・・)
彼が著した『雲根志』に掲載されたたくさんの奇石のうち、迷信が付帯している石も多く収録されているが、そのいくつかに石亭は「はたなだ信用しがたし」「下品の雑石なり」と語る冷徹な一面がある。
石を愛するがあまり、石に厳しい審美眼を持ったのだろう。
そんな石亭が、なぜ子産石には籠絡されたのか?
――これまで奇譚の類に「弄石家の尋ね需むべきことにあらず」などと冷淡を見せてきた石亭も、今度ばかりは真面目になった。なにしろ他人の体験ではない、自分が目撃したのだ。孕んでいる石のからだが透けてきて、次第に子どもの石があらわれる――。石の変化の描写を読むと、石亭はなにかの卵ととりちがえたのではないかと思えてくる。
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