石に関するTV番組の紹介です。
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11月3日(金)
9:55~10:53
朝日放送(関西地区のみで放送)
「日本人と石の物語 ~voice of stone~ 世界文化遺産と天下人と祈り」
リンク:朝日放送番組表
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番組制作初期、ネタ出しの段階で僅かですが協力しました。
どんな番組にできあがっているのか、私もわかりません。
私自身、見られるエリアに住んでいないので、友人に録画を頼みました。
関西地区にお住まいの方は、日本で数少ない「石の番組」ですので、ご覧になってはいかがでしょうか。
2017年10月31日火曜日
2017年10月28日土曜日
「さがごこち」巨石パークインタビュー
佐賀県の魅力を発信するウェブサイト「さがごこち」に、私のインタビューが掲載されたのでお知らせします。
『石』の研究者 吉川宗明さんに巨石パークのことを聞いてみた!(前編) | さがごこち
『石』の研究者 吉川宗明さんに巨石パークのことを聞いてみた!(後編) | さがごこち
佐賀市にある巨石パークと言えば、このブログをご覧の皆さまでしたらご存知でしょうか?
私、巨石パークには10年前に一度行って以来の今回頂いたお話で、けっして巨石パークの専門家として適任という訳ではありませんが、でも、石を俯瞰してきた者の一人として、あまり他に誰も触れないような視点を一つでも多く語るように意識しました。
「さがごこち」では、これから巨石パークの謎にいろんな方向からアプローチしていくようですので、私自身も巨石パークを勉強させていただくつもりです。
前後編に分かれておりますので、お時間のある時にどうぞご覧ください。
「『石』の研究者 吉川宗明さんに巨石パークのことを聞いてみた!(前編)」
『石』の研究者 吉川宗明さんに巨石パークのことを聞いてみた!(前編) | さがごこち
後編はこちら
『石』の研究者 吉川宗明さんに巨石パークのことを聞いてみた!(後編) | さがごこち
佐賀市にある巨石パークと言えば、このブログをご覧の皆さまでしたらご存知でしょうか?
私、巨石パークには10年前に一度行って以来の今回頂いたお話で、けっして巨石パークの専門家として適任という訳ではありませんが、でも、石を俯瞰してきた者の一人として、あまり他に誰も触れないような視点を一つでも多く語るように意識しました。
「さがごこち」では、これから巨石パークの謎にいろんな方向からアプローチしていくようですので、私自身も巨石パークを勉強させていただくつもりです。
前後編に分かれておりますので、お時間のある時にどうぞご覧ください。
2017年10月19日木曜日
北山耕平「石の不思議な力の輪(メディスン・ホイール)」(【石の時代】石のように考える)~『石の神秘力』を読む その3~
――こうやって石で手すさみする癖がなかったら、自分はあそこで死んでいた。私は石に助けられて生きているのだ。
こう語るのは、江戸時代の「石の長者」木内石亭である。
理由はわかっていないが、石亭は妻とともに三年間牢に入れられていた。
夫妻は、朝起きてから夜寝るまで、石玩びをひたすら楽しむ三年間だったという。
周囲の者が獄中生活で病んでいくなか、夫妻はいささかの悩みもなく、健やかに過ごすことができた。
本当かどうかは、石亭自身が「自分が牢屋で死ななかったのは石のおかげである」と公言している以上は、信じるしかないだろう。
このように、石に救われる人々が一定数いる。
石が持つ力について、メディスン・ホイールの概念から説明するのが、ネイティブアメリカン北シャイアン一族出身のヘメヨースト・ストーム『セブンアローズ』である。
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/SevenArrows.htm
(「インディアンの伝記や物語を記した文献」より)
メディスン・ホイールとは、石の輪のことである。
形態的には、環状列石と同じものを指す。
が、していることは「世界の見方を学ぶこと」である。
――たとえば、目の前二メートルほどのところに石をひとつ置いて眺めている。その石を中心にして、直径二メートルの円を描くように周囲を移動し、いろいろな点からその石をじっくりと見てみる。そうやって石の周りを一周し、石のいろいろな面を克明に見ていくのだ。一周したら目を閉じてその石を今度は心の目で見、その後、目を開けてもう一度その石を見てみる。そのとき、最初に見たときとその石は同じに見えているだろうか?石はまったく違う見え方をしているはずだ。石が変わったのではなく、それを見る方が変化したのだ。
シャイアン一族の子供たちは、こうやって石から学ぶのだそうである。
ここで、北山氏はメディスン・ホイールの造り方を指南してくれている。
要旨をまとめて、ここで紹介したい。
石から学びを得たい方は、試されてはいかが。
日程と場所の設定
- メディスン・ホイールを造る「特別な日」を設定する。
- メディスン・ホイールは一人で造らなければいけない。
- 沈黙のうちに造ること。
- 見晴らしの良い場所に造る。
- あまり他の人に見つからないような場所が良い。
- 変化の激しい場所は望ましくない。
石の選びかた
- 握りこぶし大の石を15個と、それより一回り大きい石を12個用意する(選んだその場所にあると良い)
- すべて自然石を選ぶこと。石の大きさはそろっていた方が良い。
- 石の個数は、造りたいメディスン・ホイールの大きさに応じて、多少前後しても良い。
- 運んだ石の総重量は、あなたのカルマ(業)の大きさと言える。
メディスン・ホイールの造りかた
- 握りこぶし大の石7個を使って、石の輪を作る。
- 輪の中心に、人が一人座れるスペースを取っておく。それくらいの輪の大きさにする。
- 次に、握りこぶし大より一回り大きい石を使って、先ほどの石の輪の外側にもう一つ輪を造る。
- 最初の1個目は、北に置く。
- 右回りに30cmほどの間隔で2個目、3個目、4個目を置いていき、4個目が東にくるようにする。
- 今度は1個目から左回りに、5個目、6個目、7個目を置いていき、7個目が西に来るようにする。
- 4個目と7個目を起点にして、南へ向かって石を合計5個並べる。
- 5個の中心がちょうど南に来るように配置する。
- 中心の輪の東西南北の石を起点にして、それぞれさらに外側へ等間隔に、握りこぶし大の石で4本のスポークをつきだし、スポークの先端に大きい石がくるようにする。
メディスン・ホイールの観察方法
- 完成したら、まずはしばらくメディスン・ホイールを観察する。
- メディスン・ホイールは、あなたの人生そのものをあらわしている。見る角度、方角には、それぞれ一人一人に異なる意味がある。
- 東の石から、西の石から、南の石から、北の石から、ホイール全体を見渡してみる。
- いろいろな角度から、石を見る。
- メディスン・ホイールの周りを回り、いくつのかの場所を決めて、座り込んで、見る。
- 座り込んだ場所のどこかに「自分にとっての旅の起点となる最初の場所」がある。それを見つける。
- 「最初の場所」を見つけたら、そこから見えるメディスン・ホイールは「自分がはじめて見た世界」である。
- しかし、それは世界の見方のほんの一面にしか過ぎないことを理解すること。
- 「最初の場所」以外から見える見方は、世界の別の見方となる。様々な世界の見え方を、メディスン・ホイールを通して学ぶこと。
- メディスン・ホイールの多様な見方を学べた時、そこはあなたにとって、何度も訪れることになる生涯の特別な場所になる。
2017年10月12日木曜日
北山耕平「石のように考える」(【石の時代】石のように考える)~『石の神秘力』を読む その2~
――彼(女)らはその植物のどういう成分がその病に効くのかということにはまったく興味も関心もない。「そんなものはたいして重要ではない」とさえ言う人もいる。彼(女)らの生きている世界では、病気を治すものはあくまでもその植物のスピリットであり、そのスピリットの力を借り受けることで、癒しは達成されるのである。彼(女)らとは、シャーマンのことを指す。
シャーマンのことを「メディスンマン」と呼ぶことがある。
ネイティブアメリカンのシャーマンに対してそう呼ばれることがあるのだが、北山氏によると、この場合の「メディスン」は単に「薬」を意味するのではなく、「不思議な力を持つもの」という意味合いを込めているのだという。
不思議な力には、良い面と悪い面の両面がある。
メディスンマンとは、メディスンの良いスピリットと悪いスピリットを見極められる人を指すのであり、薬の場合なら、その植物のスピリットとコミュニケートできるのがシャーマンということになる。
何にとって良い/悪いのかと言えば、あくまでも救いを求めに来る患者や祈願者の内容にとって、であろう。
したがって、ある人には良いスピリットは、ある人には悪いスピリットになりうる。
二面性の価値観は、常に逆転し合う。
――彼(女)らの用いていた薬草から、現在わたしたちが使う「薬剤」のいかに多くが抽出されているかを知れば、そうした知識がたんなるまやかしの類ではないことに気がつくはずである。
スピリットのコミュニケーターであるシャーマン自身も、ある人は良いシャーマンであり、ある人にとっては悪いシャーマンとなるだろう。
善悪の価値観というものは、 人の数だけ逆転する可能性のあるものとして理解しておくことが、いらぬ勘違いを生まないために必要な学びではないだろうか?
極端な事実を言えば、偽の信仰で救われる人もいる。
大多数から見れば悪と見えることも、身内の中では善となる。その事実自体は性質上、否定できるものではない。
一般的には、多数の人々が悪(あるいは無関心)とみなすことが多い世界であるからこそ、シャーマニズムを含めた「宗教」なる世界は「まやかし」に映るのだと理解したい。
10000人の人のなかで、1人にだけ響いたものを「まやかし」と捉えるのかどうかが、捉える側に試されている。
個人宅でまつられている岩石など、その最たるものの一例だと私は考えている。
――石は「世界で一番の年寄りだ」とアメリカ・インディアンの人たちは教えてくれる。むりやりこちらの意志を押しつければ、相手だって沈黙する。そんなのは尊敬をもった接し方ではない。即座に反応を返してくるものばかりとは限らないし、それにこちらの尋ねたいことだけを聞いて、相手の言いたいことには耳を貸さないのでは、相手もすぐには秘密を教えてはくれまい。なによりも尊敬すること。(中略)どうかそのことだけは忘れないでください。
北山氏は、石を理解しようとするためには、石とコミュニケートしなくてはいけないと述べる。
そのコミュニケーションに必要なのが、敬意を払えるかどうかということ。
石でなくても、ここは相手が人でも動物でも同じで、石を通して人生の学びにつながっている。
石を理解しようという表現自体が、相手にとっては不遜な態度かもしれない。
同様に、石とコミュニケートすることは、石を所有することと同義ではないはずだ。
動物と違うのは、石は「相手の言いたいこと」に耳を貸したくても、声にして発してくれないことで、コミュニケートしようと思ったら、難しさは格段にレベルが高い。
人は声を出して、石は声を出さない時点で、コミュニケーションは同等ではない。
この差を、人が上で石は下とみなすか、石を「世界で一番の年寄り」と考えて石を上位に置いて敬意的な接し方を選択するかが試されている。
また、敬意を持つことで、石がきっちり反応を返してくれるということをあらかじめ信じられるかどうか。
「ないもの」を「あるもの」と信じられるか、が分かれ目かもしれない。
正直に言えば、私は、まだ「ないもの」をあらかじめ信じることができない。
信じないが、私は「ないもの」を「見えないもの」と言いかえたい。
見えないものはわからないので、わからないことがあると認めることで、 石を「得体のしれないもの」という対象として敬意を持つように、自分を落ち着けている。
北山氏の意図する敬意とは異なるものになっていると思うが、これが自分に嘘をつかず、石にも失礼のない態度をとるための、現段階の精一杯の表現である。
――人がどんな石に惹かれるかはさまざまである。ある人はターコイズ(トルコ石)の入った指輪に関心を示すかと思えば、別の人はアメジストのペンダントに異様な興味をもったり、真珠のイヤリングを忘れると落ち着かない人もいる。かと思えば、そうした値の張る石などには一切目もくれずに、たまたま道端に落ちていた奇妙な形の石ころを拾い上げて、これを後生大事に袋に入れて身に付ける人もあるかもしれない。
北山氏はこれを、石が発する周波数の違いだと説明する。
宝石が貴重なものとされた理由は、とりわけ周波数の違いがよく分かる石だったからだという。
「水晶(クオーツ・クリスタル)の結晶構造は、サファイアを含んだ鉱物とはまったく異なる波長を送り出していることぐらい、二つを前にしてみれば、たちどころに理解できよう。」と北山氏は述べるが、すみません、これは私にはわからない。
実際的な効果があるのなら、ぜひ岩石ごとでの周波数の違いを研究された成果を見てみたい。
科学的な方法で見られる性質のものなのかという点が、疑り深い人間としては気になるところである。
あまり、岩石に対してわかったようにものする態度も、失礼だと私は考えているからだ。
――覚えておかなくてはならないことは、どんなものであれあなたが石を見つけるのではなく、石のほうがあなたを見つけるのだということである。あなたが石を選ぶのではなく、石があなたを選ぶのだ。まあ、へたに宝石などは人からもらわないほうがよい。もちろん、そうやってありがたく引き継いだ石が、自分にとってぴったりの場合もないわけではないところが、そもそも石の不思議なところではあるのだが。
北山氏がネイティブ・アメリカンのナバホ族部族保留地にあるターコイズ専門店から聞いた話によると、現地のナバホ族は皺だらけの模様が入ったターコイズを好むが、たとえば日本からくる石のバイヤーたちは皺のない真っ青なブルーのターコイズを好むらしい。
これを、後天的な文化的影響の違いによるものと見るかどうか。
その時、合わないと思った石が、年を経ると、合うようになるのであれば、後天的な影響によるものだろう。
これに対し、本来、先天的なものであるはずの、岩石が持つ周波数の違いがどう噛みあうことになるのか。
良いスピリットは、悪いスピリットになりうるし、その逆もあるという冒頭の話と共鳴する。
とりあえず疑問を呈したいのは、 ダイヤモンドなら○○の効果があり、メノウなら○○の効果がある、といった紋切りかつ一問一答な診断が、まったく当てにならないこと。
北山氏に言わせれば「すべての石は独自の傾向と波長」があり、「この宇宙には同じ石など二つとない」のだそうだ。
石の露出のしかたや、切り出され方で、石の波長が変わると言っていることに他ならない。
これは、周波数という科学的な概念の中で、説明できるのか?
縄文時代の日本では翡翠が珍重されたと考古学は言うが、ならば、それは石の持つ先天的な周波数によるものなのか、当時の人々が育てた後天的文化の影響によるものか。
人というものはえてして周りの人から影響を受けやすい生き物だから、石の持つ性質とは別個で、人が人から受ける心理変化もあったのではないかと思うが、それが「時代」という後天的の最たるものである。
石を知るためには、たえず時代ごとの人の後天的影響に考えをおよぼさなくてはいけない。
――相手は地球で最長老のグランドファーザーなのだ。そのことを忘れてはいけない。とんでもなくわがままで、取っ付きにくい相手かもしれないが、こちらがその気難しさを含むすべてを愛情をもって受け入れることができなければ、およそ本当のことなど教えてくれるものではない。
私にとっては、グランドファーザーの石に向き合う前に、有象無象の人間の感情が前にそびえ立っている気がしてならない。
2017年10月5日木曜日
北山耕平「だから石は生きている」(【石の時代】石のように考える)~『石の神秘力』を読む その1~
■ 『石の神秘力』について
『石の神秘力』は、新人物往来社が発刊していた別冊歴史読本の、特別増刊シリーズ第32弾の特集タイトルである。1994年発行。
編集後記にはこう書かれている。
――日本には、欧米のように、ストーン・ヒーリングの歴史やミネラルを楽しむ趣味はなかったといいますが、それでも、神社のご神体の多くが石であるように、日本人と石は古来切っても切れない関係にあります。(中略)本誌の特集で石の魅力に少しでも触れていただければ幸いです。
当時は、日本で心霊・オカルトやニューエイジ系の空気もまだ活発さを残していた時代で、本誌は当時のパワーストーンブームやストーン・ハンティング(宝石・鉱物採集)の動きの中で、特集が組まれたものだと推測される。
こういう意味では、2017年現在のほうが、石にとっては陽の目を見ない時代かもしれない。
―目次―
- ストーン・ヒーリングの世界 井村宏次
- 石がもたらす「癒し」という果実 井村宏次
- 鉱物の魅力と楽しみ方の七章 堀秀道
- 【石の時代】石のように考える 北山耕平
- 幻の水晶王国アトランティスの秘技 諏訪見殿雄
- リーディング・ソースへの警鐘 山上隆志
- 「賢者の石」を求めて 石渡鉄雄
- 占星術で読む宝石の記憶 山内雅夫
- 誕生石物語 足立岳
- 古神道の"玉"が秘める霊的パワー 竹内睦泰
- 石と"話"をするO氏の話 綾部霞作
- <ダウザー>ビル・コックスによる鉱物エネルギー場の測定 編集部
- 太古の隕石"モルダヴァイド"は聖杯の原料か? 越智道雄
- 呪力を秘めたハワイの石 中村薫子
- オーストラリアの大地でオパール・フォセキングを楽しむ 寺本不二子
- 「ストーン・ハンティング」入門 本郷俊介
- 石を巡るブックガイド 足立岳
よくもまあ、岩石というテーマでこれだけの多岐にわたる著者を連れてきたものだと感心する。
オカルト系半分、それ以外半分というヤミ鍋のような構成である。
石のテーマと言っても、どういう方向に持っていくか、さぞ編集方針に苦労したことに違いない。
この中から、北山耕平が題する「【石の時代】石のように考える」が40ページにわたって異彩を放っていたので、まずはここから始めたい。
■ 誰も石からは逃げることなどできない
刺激的な見出しから北山の文章は始まる。
それは「石がなければ、現在の私たちの暮らしは成り立たない」からだとする。
人類にとって、最初の道具となったのは石で、その「石の時代」は、「もはや想像すらつかないくらい遥か遠い過去の話」になった。
それでも、石は今でも私たちの周りを取り囲んでいるし、石を利用し続けている。
人類にとって石は、唯一の道具ではなくなったからこそ「石の時代」として象徴していないだけで、底流には「母なる地球と私たちをつないでいた装置」でありつづけているという。
北山は、さらにこう念押す。
――今生まれようとしている新しい人間にとって「最後の知恵」をもたらすものでもある
この「最後の知恵」を検証する取り組みが本稿なのだという。
■ どんな石でも石は石であるということ
宝石・貴石・化石・金銀など、特定の鉱物だけを持ち上げてきた欲望は「この二〇〇〇年の歴史をドライブさせてきた原動力」と表現されている。
現代人のパワーストーンブームも、水晶や研磨加工など、特定の石に対する関心への現われである。
北山はこれを「新たなる石の差別化」に陥っていると警告する。
「どこにでも転がっている普通の石ころ」まで、石に含んで視野に入れておかないといけないと述べるのが北山の立場である。
それによって、自然・環境・世界を認識できるのだという。
そうであるならば、この論旨と翻って、『石の神秘力』の冒頭で約100ページにわたりカラー図版で貴石の特集が組まれているのは、もはや壮大な皮肉と言うしかない。
■ わたしたちの遠い祖先にとっての石
――いわゆる禅寺の「石庭」と呼ばれているものも、当初は、瞑想状態において意識を高める場所として考案された石や岩のパワーを引き出す置き方であり、いうならば「ないものを見せる」という、当時最先端のヴァーチャル・リアリティ・テクノロジー(仮想現実技術)だった
「ないものを見せる」ことが「石の声」を聞く方法の一つと考えるのが北山の論である。
だから、「これみよがし」は駄目だそうである。
禅寺を傍流的な文化として取り入れ、権力者が道楽とした水石や盆石は、領地と等価値の「これみよがしの様」となった。茶器と同様に。
特定の石をありがたがるところに、「ないもの」はないのである。
そこから、石の声を聞こうという純粋な方法は見えてこない。
理屈と世俗的な欲求に覆われすぎており、石の声などどうでもいいのである。
一方で、石神をまつる神社の中には「ないものを見せない」ものもあると北山は指摘する。
――石たちの多くは縄で結わかれて牢屋に入れられてしまっている。石は沈黙した。あまりこのように石を見る意見は聞かない。
石に注連縄が巻かれていたら、ありがたがる人も多いのではないか?
本殿の中や社殿下に秘匿されることになった岩石祭祀事例も、確かに多く見受けられる。
隠されることで神秘性が増すという話とは別次元で、石はそもそも石の姿が見えていないと、石を語ろうにも理屈だけの話となることは間違いない。
その石がそもそも信仰された理由は、石自身が持つ物質的想像力に帰結することは言うまでもないからだ。
しかし、歴史の流れの中で、石は原初の姿とは違う「置かれ方」をする。
現代の私たちにとっては、始めから石が隠されていたら、石が持つ想像力の出しようがなく、その石の本来の力たるものを考えることは、もはやすべて的外れの議論になってしまうだろう。
このように、歴史の経過によって、石は当初の姿形を"人間によって"変えられ、石の声は聞こえなくなる。
――かくして石が生きて、感じて、考えて、記憶していることを、二〇〇〇年かけて人々は忘れていく。
石の声は、石が見てきた歴史であり、それを人々が忘れていくのを危惧したのが北山であり、歴史の経過と人間の欲望というものは生来そういう性質のものであるから、なかば諦めているのは私の受け取り方である。
諦めるのは、そこにこだわらなくすることであり、それによって残された時間を、別の方法で対策できると考えているからだ。
――石や、岩や、地球は、そこで起こっていることを、良いことも悪いこともすべて波長として記憶する。そして考えている。自分の石をひとつ持って見れば、そのことがきっと理解できるだろう。それは、人間と同じように、一種の生命コンピュータである。
私は、まだ自分の石を持っていない。
石を理解するために、自分の石を持つことから始めないといけないのかもしれない、とは思わされた。
ただ、私は、石を1つあずかることはおこがましい行いだと、生理的な部分で感じている。
石を理解するために、石を所有するという解法しかないとは思わない立場である。
石を自分だけのものにした時点で、何かが変節している気がする。
石をとらずに見に行くだけで、自分の石としていいのなら、捉え方はまた変わってくる。
北山はこう述べる。
――爆破され、切りだされ、研磨され、値段を付けられ、無数の人たちの手から手へと旅し、取り引きされ、カウンターに並べられて売られているその間に関わった良いヴァイブレーションも悪いヴァイブレーションも、人間の欲も、全部石は記憶する。石をひとつ手に入れるのにも、そうしたエネルギーの流れのすべてを引き受けることを忘れてはなるまい。宝石などは論外である。
石ひとつを手にすることは、本当に恐ろしいことだ。
善悪についての是非は、私には分からない。
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