通俗的には、霊的な能力者が人や物に触れたり透視するだけで、「高次のレベルの情報」を読み取ること。これをリーディングと呼ぶ。
さまざまなリーディングの担い手がいて、彼らが残した文献や発言を山上隆志氏はリーディング・ソースと呼んでいる。
このソースの取り扱い方について警鐘を鳴らしながら、その例として石を取り上げている。
たとえば、トルコ石の場合はこうだ。
古今東西の能力者のリーディング・ソースを下に要約する。
レノーラ・ヒュエット「ある特定の人にだけ、治療の石として効能があるが、治療能力がない人にとっては無意味な石だ。」
ジュリア・ロルッソ「トルコ石は昔流行った遊びで、今の時代には効果がない。」
ラマ・シング「トルコ石は治療石以上の作用がある。全員に作用する。」
さて、どのリーディング・ソースを信じようか?
全てのソースを信じると矛盾が発生するし、どれか一つのリーディングを信じる根拠をどこに置くのか。
むしろ、一つのリーディング・ソースしか知らない人は、このようなことがあるから危険なのではないか?
このような、ソースに関する知識の狭さや特定のものだけしか知らないことがいかに危険であるかと、山上氏は警鐘しているのである。
人によってリーディング結果が異なる理由として、山上氏は3点を提示している。
1.効果はその人によって異なるので、各リーディング・ソースが想定していた個々人が違うから効果も変わるのではないか。
2.頭の中で石をイメージしただけのリーディングと、実際に石を目の前にしたり手にしたりしたリーディングでは、感じ方が違うのではないか。また、石の個体ごとの純度によって作用が変わるのではないか。
3.リーディングをした人の問題。石に知識がない、リーディングできなかったから他の理屈から引用したなど。
ものは言いようで、もはや何でもありなような気がするが、山上氏がさらに考慮すべきなのはプラシーボ効果(思い込み効果)だという。
――ストーンパワーがあると確信して使うならば、プラシーボ効果によって、石の力はその人に発揮される可能性は、かなり高いと考えられる。
これは信仰の領域であり、石を別の事物に置きかえても広く通用する、人間に備わった心性ではないだろうか。
人間に備わっている性質であるなら、意図せず利用される側ではなく、意図的に上手に利用したいものである。
山上氏は、気に入ったリーディングならどれでも正解だし、気に入ったリーディングがないなら古い文献から探してみるのもいいし、オリジナルのパワーストーン・チャートを作ってもいいとまで述べる。
最終的には、自然の石を見てピンときたら、理屈など不要で、その石があなたにとってのパワーストーンなのだという結論にも行きついている。
山上氏が言いたいのは、リーディング・ソースを盲信して、ソースに見合った石を探すという付き合い方をしていると、自分の目や感性を曇らせてしまい、自分にとってぴったりの効果が得られなくなってしまうということだ。
恐ろしいほどになんでもありな話となってしまった感があるが、スピリチュアルな人の物事の考え方の一端を理解できた気がする。
けっして批判的に言っているのではなく、 信仰当事者である能力者の価値観も、このように自身の五感が異常に確立されていて、そこに周囲の他者が影響する余地はないということだろう。
いわゆるリーダーと呼ばれる人間に共通する価値観と捉えれば、これは信仰や宗教という枠組をもっと普遍的に広げられる、人心の概念とまで言える。
一方、石そのものについてはより一層わからなくなってしまった。
私は、まだ石を知りたい。
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