愛知県名古屋市中村区岩塚町字上小路7番地
応永32年(1425年)、熱田七社を勧請したことから七所社と呼ばれる。しかし、それ以前から神祠がまつられていたと伝えられ、『延喜式神名帳』に記載された御田神社の論社でもある。一般的には尾張三大奇祭の一つである「きねこさ祭」で有名な神社である。
境内に奈良時代初期の築造と推定される3基の古墳が存在し、地名の「岩塚」はここから由来するとされる。
天保14年(1843年)完成の『尾張志』の記述によると、塚の一つに縦4尺(約120cm)横3尺(約90cm)の岩が立っていて、これを不生石と呼んだという。
ただし大正12年(1923年)に描かれた七所社境内図には既に不生石の記載はなく、代わりに「コシカケ石」という岩石が塚の前に描かれている。
これは現在「日本武尊腰掛岩」として現存しており、日本武尊が東国平定から帰還の際、渡し舟が来るまでのあいだ腰掛けた岩石と伝えられている。
腰掛岩は縦横寸法もおおよそ120×90cmであるため、不生石は日本武尊腰掛岩と同一物だった可能性があるが、確定には至らない。
日本武尊腰掛岩
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