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2018年3月23日金曜日

七所社の不生石・日本武尊腰掛岩(愛知県名古屋市中村区)


愛知県名古屋市中村区岩塚町字上小路7番地

 応永32年(1425年)、熱田七社を勧請したことから七所社と呼ばれる。しかし、それ以前から神祠がまつられていたと伝えられ、『延喜式神名帳』に記載された御田神社の論社でもある。一般的には尾張三大奇祭の一つである「きねこさ祭」で有名な神社である。

 境内に奈良時代初期の築造と推定される3基の古墳が存在し、地名の「岩塚」はここから由来するとされる。

 天保14年(1843年)完成の『尾張志』の記述によると、塚の一つに縦4尺(約120cm)横3尺(約90cm)の岩が立っていて、これを不生石と呼んだという。
 ただし大正12年(1923年)に描かれた七所社境内図には既に不生石の記載はなく、代わりに「コシカケ石」という岩石が塚の前に描かれている。
 これは現在「日本武尊腰掛岩」として現存しており、日本武尊が東国平定から帰還の際、渡し舟が来るまでのあいだ腰掛けた岩石と伝えられている。
 腰掛岩は縦横寸法もおおよそ120×90cmであるため、不生石は日本武尊腰掛岩と同一物だった可能性があるが、確定には至らない。

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日本武尊腰掛岩

出典

坂重吉 「七所社に遺存の古石に就いて」 『尾張の遺跡と遺物』第42号 名古屋郷土研究会 1942年 (愛知県郷土資料刊行会 『尾張の遺跡と遺物』下巻 1982年版を参考とした)

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