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2018年4月26日木曜日

諏訪七石(長野県諏訪市・茅野市)

諏訪七石について

1238年(嘉禎4年)『諏訪上社物忌令之事』に、七つの石の存在が記述されている。
これを諏訪七石という。
  1. 硯石
  2. 沓石
  3. 蛙石(甲石)
  4. 小袋石
  5. 亀石
  6. 兒玉石
  7. 御座石

今は廃絶している諏訪大社の神事の1つに、湛神事と呼ばれるものがある。
3月の大御立座神事の時、神使が「湛(たたえ)」と呼ばれる場所を巡り、そこで神降ろしを行う。その時、鉾の先端に鉄鐸を取り付けてそれを鳴らすことで、祭祀を行う。そして11月の御立座神事の時、その「湛」で降ろした神を再び送り上げるという。

この「湛」は、木であったり石であったりが選ばれていたらしいが、その石が諏訪七石だったといわれる。信憑性については不確かな部分もあるが、もしそうだとするならば、これら七石は神を迎え、そして送るという磐座の機能を果たしていた場所だと解釈することができる。
現在はいずれの石でもそのような祭祀儀礼は行なわれていないので、今は磐座跡・元磐座というのが正しい表現だろう。

硯石 -諏訪七石その1-

諏訪大社上社本宮の境内にある。しかし、石の近くまで行くことはできず、四脚門(四足門)と呼ばれる場所から遥拝する。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

神社が掲げる説明板によれば、石の上面は窪んでおり、ここに溜まる水は枯れることがないという。
同じ説明板に、鎌倉時代の神楽歌において「 明神は 石の御座所に おりたまふ おりたまふ みすふきあげの 風のすすみに」と読まれている歌があるが、ここに登場する石が硯石に当てられている。

一方、硯石はもともと現在地とは違う場所にあったという説がある。
また、江戸時代の文献や絵図に硯石の存在が抜け落ちていることが度々あり、神楽歌に登場するような「石の御座所」だったかどうかも検討の余地がある(八ヶ岳原人氏「『硯石』諏訪大社本宮の磐座《諏訪七石》」)。

このような移動説のほか、元来は別の岩石を硯石と呼んだ可能性もある。

上社本宮には神体山として神聖視されている守屋山(標高:西峰=1650m、東峰=1631m)があるが、現在の上社本宮拝殿の拝み方向は、山の方を向いていない。「神居」と書かれた禁足の森の方角に向かっている。

山を神体とする神社の多くは、社殿の背後に山を持ってきて拝み方向が「社殿→神体山」と重なることが多い。
一方、四脚門から硯石を拝むと、その延長線上には神体山が当たる。このことから、当初の祭祀方向は「四脚門-硯石-神体山」ラインであり、それがある頃から「拝殿-神居」ラインに変わったのだと考えられている。
拝殿の裏、神居の中にはかつて「お鉄塔」と呼ばれる仏塔があり、これは弘法大師が建てたものという伝えがあった。おそらく、神仏習合の時代にこの「お鉄塔」を拝む向きに拝殿を設けたのだと推測される。
社域と山の境にあるという点では、硯石は磐座としての立地にはふさわしい。

なお、守屋山の東峰上には守屋神社奥宮が鎮座し、その周辺には露岩が点在している。


沓石 -諏訪七石その2-

上社本宮境内、「一の御柱」の後ろにある。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

「沓石」には「お沓石」「御沓石」という表記もある。
石垣と半分同化しているような現状だが、諏訪明神の沓(くつ)の跡が残る石、または諏訪明神の神馬の足跡が残る石などと伝えられている。

沓石の背後には「天の逆鉾」とよばれる鉾が突き立っている。
江戸時代に国学者が突き立てたもので、刻字もあるとのこと。
この鉾の上面めがけて小石を投げて一度で乗せることができれば大吉、願い事がかなうといわれている。


蛙石(甲石) -諏訪七石その3-

『諏訪上社物忌令之事』には「甲石」という名前で登場する。

蛙石については1つに特定されておらず、候補には諸説ある。

(1)上社本宮拝殿の奥、「神居」の中にあるといわれる大石
(2)上社本宮境内の「蓮池」の中
(3)諏訪市湖南大熊に存在する「蛙石」

(1)については禁足地で内部を見られないため、そんな大石が存在するのか自体が詳細不明。

(2)の蓮池は、池の数ヶ所に石が何個か顔を出しているが、この内のどれか、ようとしてしれない。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

それとも、池の底に沈んでいるのだろうか。
(池は浅いので底が見えるが、それらしき石はなし)。現存しないという可能性もある。

(3)の蛙石は現存特定可能。上社本宮から歩いて行ける距離。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪の高島城を築く際、どこかから持ってきたのがこの石という。


小袋石 -諏訪七石その4-

「おふくろいし」と読む。諏訪七石のうち最も大きな石になる。
上社本宮と上社前宮の間にある道から、山の方へ歩いていくとたどりつく。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

太古、小袋石の辺りまで諏訪湖の水位は高かったと言い伝えられ、この石で舟をつないでいたということから「舟つなぎ石」の別称も持つ。
七石の中で最も巨大という外見的要素にくわえ、石をつたって小さい沢があり、まつられる要素のいくつかをそろえている。

小袋石の直下には石祠が散在し、その中でも最も大きな祠を磯並社という。


亀石 -諏訪七石その5-


元来、どこにあった場所かわからないが、現在は高島城内にある。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

茅野市の安国寺・大河原・西茅野あたりを流れる宮川の辺りに千野川明神がまつられていたといい、そこに亀石も元々あったとのこと。
それがある時洪水で流され、そのあと高島城の庭に置かれていたのが、明治の廃藩置県に伴って一般人に売却されたという流浪の石である。

長らくその存在を目にすることはできなかったが、2007年、所有者の厚意により再び高島城に移され、現在はその姿を高島城で見ることができる。
水をかけると亀が生きているようになり願いがかなうという尾ひれまでつく。

元来千野川明神にまつられていたという亀石と同一個体かどうかは不明だが、とりあえず諏訪七石の亀石と呼ばれるものの唯一の候補となっている。

兒玉石 -諏訪七石その6-


諏訪市湯の脇に鎮座する兒玉石神社に比定されている。付近は道が狭く急斜面。一歩道を間違うと車の方向転換も難なので注意。



境内には5個の巨石が転がっており、これが諏訪七石の兒玉石に相当するものと考えられている。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

5個の巨石の内、社殿の手前にある2個の巨石をまとめて「いぼ石」と呼び、特に神聖視されている。
神が諏訪湖から引き上げてここに置いた石といわれており、石のくぼみにある水は乾くことがなく、この水をいぼに付けたら必ず治癒するといいつたえられている。探訪時は水が溜まっていなかった。


御座石 -諏訪七石その7-


候補は2ヶ所ある。

(1)上社境内
(2)茅野市本町に鎮座の御座石神社境内

(1)の上社境内は『諏訪上社物忌令之事』で示されている場所だが、現在特定ができず、どれのことなのかさっぱりという状況だ。

他の多くの史料では、諏訪七石の御座石を(2)の御座石神社に当てている。



境内には3個の石がある。
1つ目は、神社入口脇にある御履石と呼ばれる石。
祭神の高志沼河姫命がここで靴を履き替えた石という。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

2つ目は、社殿手前にある石。
この石に名称は付いていないようだが、高志沼河姫命がこの石に腰掛け休んだといわれ、また、命が乗っていた鹿の足跡が残るともいう。確かに、石の表面には足跡らしき窪みが見られる。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

4月27日のどぶろく祭りの時には、この石に幣帛が捧げられる。
神への捧げものである幣帛があるということは、祭祀時にこの石に神が顕現しているという構図になります。単なる神跡にとどまらず、現在も磐座要素が見られる。

3つ目は、社殿横にある穂掛石。
この石は元々はこの近くの字・吉田という場所の田んぼ内にあったといい、穂を掛けていたとことからこの名があるという。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

さて、諏訪七石の御座石とは言えど、境内にあるこの3つの石の内、どれを指すことになるのだろうか。
3つ目の穂掛石は吉田から移設したものなので除くとして、1つ目か2つ目か。それとも、現存しないのか。

私見では、1つ目は御履石という名前が付いている点、2つ目は名前が付いていない石である点、2つ目の石は神が腰掛け休んでいるという点などから綜合して、2つ目の石が御座石にふさわしいのではないかと感じた。

ちなみに、穂掛石は「矢ヶ崎村七石」の1つだそうで、他にもたくさん名の付いた石がある。「七石」で括る文化の根強さを今に伝えている。


上社前宮の岩石祭祀事例


七石と呼ばれるもの以外にも、諏訪大社にはいわれのある岩石がある。上社前宮で知った4つの事例を紹介したい。



(1)神の足跡石


諏訪大社上社前宮の玄関口、国道152号線沿いに「みそぎ池」があり、そのほとりに溝上社の祠がまつられている。
現地看板によると、池の西方に「神の足跡石」があったと記載がある。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

八ヶ岳原人氏の「神の足跡石《諏訪大社上社散歩道》」のページによると、「神の足跡石」を想起させる、岩石表面に足跡状の窪みが残る岩石が紹介されている。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

確証はないものの、池の西方にあり、本ページでも件の岩石である可能性を指摘しておくため記録しておきたい。

(2)弓立石


矢立石ともいう。
大祝(おおはふり)の居館の庭にあった石だというが、それ以上の詳細は定かでない。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

(3)大石さま


諏訪大社上社前宮に掲げられた周辺地図(安国寺区史友会の作成)に記載がある。
大石さまに隣接して石碑が1体立てられているが、刻字が判然としない。名称からしてまつられていた岩石であることは想像できる。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

(4)要石


かつて鶏冠社にあったといわれる岩石。
諏訪神社神官職の長である大祝が即位する時に、大祝がこの要石の上に立ったという祭儀上重要な石。大祝の代替わりの時、要石の上に簾を敷いて新しい大祝が座すと、神が憑依して神人となったという。人に神を降ろす磐座の一種である。
「諏訪大社/上社参詣記」によれば、即位式の際には、祭りで使用する道具を置くカナツボ石という石もあったという。
しかし、要石は明治初期に何者かに盗まれ、今は存していない。カナツボ石は不明。

参考文献


上社本宮社務所・下社秋宮社務所『諏訪大社』(由緒書)

八ヶ岳原人「『硯石』諏訪大社本宮の磐座《諏訪七石》」「神の足跡石《諏訪大社上社散歩道》」・(「from 八ヶ岳原人」内)

「石の文化史_展示解説3」「諏訪市博物館webpage」内)

「諏訪大社/上社参詣記」「戸原のトップページ」内)

2018年4月22日日曜日

「あなどれない30分修行 磐船神社の岩窟めぐり」記事コメント補足~磐船神社(大阪府交野市)から考える「ご神体」信仰~


大阪府交野市私市 磐船神社


先日、朝日新聞の記事「あなどれない30分修行 磐船神社の岩窟めぐり」(朝日新聞4月18日付夕刊関西版)に、私のコメントが掲載されました。
 「まだまだ勝手に関西遺産」というシリーズで、楽しく読める記事になっています。

web上にも記事本文と動画が掲載されていますが、有料会員記事なので冒頭だけ。
https://www.asahi.com/articles/ASL4F44S2L4FPTFC007.html

ライトな内容と思いきや、磐船神社の岩窟めぐりが公開された時期やきっかけについても記述があり、ためになります。

私は有識者としてのコメントを求められましたが、識者のくせして岩窟めぐりをしていないことを告白。良いオチがつきました。

ここから下は、新聞でコメントしていない部分を書きます。

磐船神社は、物部氏の祖神とされる饒速日尊がこの地に降り立ったとき、乗っていた「天の磐船」をご神体とする場所です。
船が石化したのか、もともと石の船だったのかはさておき、私が磐船神社に思うのは、なぜ神そのものではない船が、ご神体にランクアップしたのかということ。

本来の発想としては、神と船は同一視されないはずなのに、現状では神と船が同一視されているわけです。
他にも同様の磐船・岩船・石船信仰はあるため、典型的な例としてここのギャップに目を向けています。

これについては、アプローチしだいでいろいろな考え方ができると思います。

私が一つ思うのは、「ご神体」という名前が持つイメージが、時代や人によってばらつきがあるのではないかということです。

「ご神体=神の肉体」と定義してしまうと、ややおかしなことになる事例です。
霊と肉が分離しているという立場に立ったとしても、船に直接神の例が宿るという構図ではなく、船の中に神の肉体があり、そこに霊は宿るというのが、人格神としての構図だからです。
もちろん、人格神という観念から離れれば、船そのものが神の肉体とみなすこともできるでしょうが、饒速日尊の位置付けから考えて、本事例は人格神の色が濃い。

そこで、「体」 の意味をいわゆる「肉体」という意味に限定せず、「体(たい/てい)」の意味合いでとらえ直してみましょう。

体(たい)
「そのものとしてのかたち。すがた。」「物事の本質をなすもの」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/132352/meaning/m0u/

体(てい)
「外から見た物事のありさま。ようす。」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/149009/meaning/m0u/

上記2つは辞典的定義から引用しましたが、神の場合で言えば、目に見えない神の形や姿をどうにかして外から見えるようにしたものが、「ご神体」とまとめられるのではないでしょうか。
神を象徴するものであれば、それが本来の神そのものでなくても、神格をすべて表現するものでなくても、神の一つの神性を表現していれば、それは神を象徴することになりうるのです。
なぜなら、神は目に見えないから。
そもそもの出発点が無理難題から始まっているのです。
だから、神を見たくて、神に会いたくて、という人の願望が表出して、このような磐船信仰や、姿石、ご神体の概念を形作ったのだろうと想像しています。

姿石は性神に代表されるように、形が神に似ているパターンが多いですが、磐船の場合は、神の事跡のよすがを表す象徴としてあるパターンに属します。
最近、祭祀考古学ではやりの「御形」も、岩石の形が必ずしも視覚的に神格を想起させなくても神の象徴となっていると思います。

磐船神社
磐船神社の社殿裏に存在する「天の磐船」

磐船神社
磐船の下は、河川に折り重なる岩群

磐船神社
私はなかなか縁に恵まれず、2回訪れて2回とも増水で岩窟めぐりできず。
死亡事故がかつて起こって以来、一人での入窟もできなくなり、さらに難易度は上がりました。

磐船神社
境内には神仏習合の歴史も多く見つけることができます。

磐船神社

磐船神社
なぜあそこに仏を彫ったのかと、心理的な違和感を持ちませんか?

2018年4月19日木曜日

岩石祭祀事例 未掲載リスト(2018.4.19時点)

「昔のホームページにのせていた○○のページを復活してほしい」
というお声を頂戴することがあります。

web上であまり取り上げられていない場所を中心に再掲載していますが、2018.4.19現在で数えてみたら未掲載が267ページありました(2001年~2014年作成)。

2014年~2015年頃に訪れた場所は、ホームページ閉鎖・活動停止時期でしたので、レポートそのものを作っていません。島根県・兵庫県辺りが多かったような記憶があります。その場で記録しておかないと、自分でももうさっぱりわかりません。

このような状況ですので全部の再掲載は到底無理ですが、かつてここは訪れたよというメモとして下に2014年まで作成のリストを載せておきます。

※2023.7.17更新 その後、記事掲載した事例に打消し線を入れました。

東北地方

達谷窟毘沙門堂(岩手県西磐井郡平泉町)
瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)
岩角山岩角寺(福島県本宮市)
建鉾山遺跡(福島県白河市表郷高木 字 高野峯)
常在院の殺生石(福島県白河市)

関東地方

産護石(群馬県沼田市新町)
榛名神社(群馬県群馬郡榛名町 大字榛名山 小字巌山)
赤城山南麓の岩石祭祀(群馬県前橋市-伊勢崎市)
岩神稲荷神社の飛石(群馬県前橋市昭和町)
愛宕山/庚申山(群馬県みどり市笠懸町)
日光二社一寺の岩石祭祀事例(栃木県日光市)
岩船山(栃木県下都賀郡岩舟町静)
石船神社(茨城県東茨城郡城里町岩船)
大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町)
大甕倭文神社(茨城県日立市大みか町)
こぶヶ谷戸祭祀遺跡(埼玉県児玉郡美里町猪俣栃久保)
岩上神社(埼玉県本庄市児玉町太駄)
八幡山古墳(埼玉県行田市)
ポンポン山(玉鉾山)(埼玉県比企郡吉見町大字田甲)
吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町)
岩殿観音(埼玉県東松山市岩殿)
弁天岩(埼玉県飯能市白子)
小床静之神社(埼玉県飯能市坂元 字 小床向)
久須美白鬚神社の岩群(埼玉県飯能市久須美)
岩井堂観音(埼玉県飯能市岩渕)
日原の岩石祭祀事例(東京都西多摩郡奥多摩町日原)
立石/立石様/立石祠/立石稲荷神社(東京都葛飾区立石)
素盞雄神社の瑞光石(東京都荒川区南千住)
水之尾毘沙門天(神奈川県小田原市水之尾)
箱根山の岩石祭祀(神奈川県足柄下郡箱根町)


中部甲信越地方

山梨岡神社(山梨県笛吹市春日居町鎮目 字 宮の前)
山梨岡神社(山梨県山梨市下石森)
八嶽山神社(山梨県山梨市山根)
大石神社(山梨県山梨市西)
立石神社 (山梨県山梨市西保下)
笠石神社(山梨県山梨市西保中 芦の原)
日吉山王神社(山梨県山梨市牧丘町室伏)
三ッ石(山梨県韮崎市・甲斐市)
女夫石遺跡(山梨県韮崎町穂坂町宮久保)
金生遺跡(山梨県北杜市大泉町谷戸字金生)
鳴石/膳貸し石(山梨県北杜市谷戸)
雨晴岩/義経岩/義経雨はらし岩(富山県高岡市)
仏石(富山県黒部市)
ねずみ返しの岩壁(富山県黒部市)
三尊仏/夫婦岩(富山県黒部市)
大穴持像石神社の地震石(石川県羽咋市)
石の木塚(石川県白山市)
執念の石(長野県長野市)
諏訪大社と諏訪七石(長野県諏訪市・茅野市・諏訪郡下諏訪町)
ドルメン類似遺跡/坪平遺跡(長野県諏訪郡富士見町立沢)
小六石(長野県諏訪郡富士見町小六)
筥石神社の箱石/陰陽石/女石・男石(長野県駒ケ根市)
大御食神社の日本武尊御手掛石/比良加石(長野県駒ケ根市)
上村上町の山神・水神(長野県飯田市)
ボッタ沢(長野県飯田市)
津島牛頭天王神社(長野県飯田市)
根方岩陰遺跡(岐阜県高山市丹生川町根方)
日輪神社(岐阜県高山市丹生川町大谷)
狂人石(岐阜県高山市桜町)
牧ヶ洞の烏帽子岩(岐阜県高山市清見町牧ヶ洞)
七夕岩(岐阜県高山市)
岩屋岩蔭遺跡・金山巨石群(岐阜県下呂市金山町岩瀬)
白龍稲荷神社(岐阜県郡上市)
女夫岩(岐阜県中津川市)
星ヶ見岩(岐阜県中津川市)
鮒岩(岐阜県中津川市)
穴観音(岐阜県中津川市)
笠置山(岐阜県恵那市笠置町-中野方町)
いぼ石/いぼ神様(岐阜県恵那市中野方町)
磐座の森(岐阜県恵那市山岡町馬場山田)
鬼岩公園(岐阜県瑞浪市・可児郡御嵩町)
滝ヶ洞・稚児岩(岐阜県土岐市駄知町)
日子坐命墓(岐阜県岐阜市岩田西)
加野の鏡岩(岐阜県岐阜市加野)
迫間不動尊(岐阜県関市迫間)
三井山(岐阜県各務原市)
村上神社のドンコツ岩/鯰岩と浜見岩/沖見岩 (岐阜県各務原市)
金比羅神社(岐阜県各務原市)

南宮大社(岐阜県不破郡垂井町)
岩崎神社の神座石/御神楽石(岐阜県不破郡垂井町岩手)
赤岩大神(岐阜県養老郡養老町小倉)
千代保稲荷の重軽石(岐阜県海津市)
上多賀宮脇遺跡(静岡県熱海市上多賀宮脇)
三嶋大社(静岡県三島市大宮町)
富士山本宮浅間大社の鉾立石(静岡県富士宮市宮町)
ビク石山/石谷山(静岡県藤枝市)
高草山(静岡県藤枝市岡部町三輪・焼津市関方)
夜泣石(静岡県掛川市)
粟ヶ岳(静岡県掛川市初馬)
石巻山(愛知県豊橋市)

赤岩山赤岩寺(愛知県豊橋市多米町)
鳳来寺山(愛知県新城市)
本宮山(愛知県豊川市・岡崎市・新城市)
拾石神社のたび石と大巖神社(愛知県蒲郡市)
岩上神社の岩神/岩神さん/岩神様/岩神大明神(愛知県蒲郡市)
つぶて岩(愛知県知多郡南知多町)
岩屋寺の奥之院(愛知県知多郡南知多町)
岩神社の岩神(愛知県豊田市岩神町)
雨乞石/水神さん(愛知県豊田市追分町)
犬山市周辺の岩石祭祀事例(愛知県犬山市~小牧市)
岩崎山(愛知県小牧市岩崎)
尾張大国霊神社の磐境(愛知県稲沢市国府宮)
七つ石/剣研石(愛知県一宮市大和町戸塚)
酒見神社(愛知県一宮市今伊勢町本神戸)

東谷山(愛知県名古屋市守山区)
石神堂/物部神社(愛知県名古屋市東区筒井)

近畿地方

多度大社(三重県桑名市多度町)
桑名宗社の石取祭(三重県桑名市本町)
椿大神社(三重県鈴鹿市山本町)

羽黒山(三重県亀山市関町)
猪田神社(三重県伊賀市)

城之越遺跡(三重県伊賀市比土 字 城之越)
大村神社の要石(三重県伊賀市阿保)
美波多神社の雨乞石(三重県名張市新田字女良塚)
赤岩尾神社(三重県名張市滝之原)
石山観音(三重県津市芸濃町楠原)

二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)
伊勢神宮の岩石祭祀事例(三重県伊勢市)
仙宮神社(三重県度会郡南伊勢町河内)
花の窟神社(三重県熊野市有馬町)
産田神社(三重県熊野市有馬町)

多賀大社の寿命石(滋賀県犬上郡多賀町)
胡宮神社の磐座(滋賀県犬上郡多賀町)
調宮神社の大岩(滋賀県犬上郡多賀町)
猪子山(滋賀県東近江市猪子)
石馬寺・雨宮瀧神社(滋賀県神崎郡五個荘町)
観音寺山(滋賀県安土町・五個荘町・能登川町)

沙沙貴神社(滋賀県蒲生郡安土町)
箕作山周辺の岩石祭祀事例(滋賀県東近江市)
姨綺耶山長命寺(滋賀県近江八幡市長命寺町)
岩倉山(滋賀県近江八幡市)
日向山(滋賀県栗東市)

岩根山車谷磨崖仏(滋賀県湖南市花園)
日吉大社(滋賀県大津市坂本)
白鬚神社(滋賀県滋賀郡高島町)

水口石/力石(滋賀県高島郡安曇川町)
石敢当(滋賀県高島郡安曇川町)
町石(滋賀県高島郡安曇川町)
三尾神社旧跡の安産もたれ石(滋賀県高島郡安曇川町)
笠置山(京都府相楽郡笠置町)
宇治上神社の天降石/岩神さん(京都府宇治市宇治山田)

白石神社(京都府京都市山科区小山)
岩屋神社の陰陽岩(京都府京都市山科区大宅)
諸羽神社(京都府京都市山科区四ノ宮在地町)
日向大神宮(京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町)
大岩神社・小岩神社(京都府京都市伏見区深草向ヶ原町)
伏見稲荷大社・稲荷山(京都府京都市伏見区深草)
地主神社の「恋占いの石」(京都府京都市東山区清水)
知恩院の岩石祭祀事例(京都府京都市東山区林下町)

白川子安観音(京都府京都市左京区北白川)
岩上神社(京都府京都市北区松ヶ崎)
山住神社(京都府京都市左京区岩倉)
鞍馬山(京都府京都市北区)
貴船神社(京都府京都市北区)
大田神社の「蛇の枕」(京都府京都市北区上賀茂本山)
上賀茂神社の岩石祭祀事例(京都府京都市北区)
女夫岩(京都市北区上賀茂女夫岩町)
弁慶石(京都府京都市中京区弁慶石町)

幸神社の猿田彦御神石(京都府京都市上京区)
岩神さん(京都府京都市上京区大黒町)
水火天満宮の登天石(京都府京都市上京区扇町)
船岡山(京都府京都市北区)
今宮神社(京都府京都市北区)

鏡石町の「鏡石」(京都府京都市北区)
衣笠山(京都府京都市北区衣笠衣笠山町)
六請神社の力石大明神(京都府京都市北区等持院町)

双ヶ岡の岩石群(京都府京都市右京区)
山王神社の夫婦岩(京都府京都市右京区)
大酒神社(京都府京都市右京区太秦)
車折神社(京都府京都市右京区)
梅宮大社(京都府京都市右京区梅津フケノ川町)
梅ヶ畑祭祀遺跡(京都府京都市右京区梅ヶ畑町)
児神社(京都府京都市右京区広沢町)

広沢古墳(京都府京都市右京区広沢町)
野宮神社の神石(京都府京都市右京区)
松尾山の「磐座」(京都府京都市西京区嵐山)
月読神社の月延石(京都府京都市西京区嵐山)
出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲)
出雲神社(京都府亀岡市本梅町)
天座の大亀石/御座岩(京都府福知山市天座)
岩室稲荷神社(京都府舞鶴市吉坂)
和貴宮神社の水越岩(京都宮津市宮本)
籠神社・真名井神社(京都府宮津市大垣)

三之宮神社(大阪府枚方市穂谷)
磐船神社(大阪府交野市)
小松神社の北斗石(大阪府交野市)
善根寺 春日神社(大阪府東大阪市善根寺)
鐸比古・鐸比売神社と高尾山(大阪府柏原市)

四天王寺(大阪府大阪市天王寺区四天王寺町)
日向天巨建岩(兵庫県西宮市御茶家所町)
越木岩神社(兵庫県西宮市甑岩町)
保久良神社(兵庫県神戸市東灘区)
櫛石窓神社(兵庫県篠山市福井)
岩楠神社の岩窟(兵庫県津名郡淡路町)

石上神社(兵庫県津名郡北淡町舟木)
自凝島神社(兵庫県三原郡三原町)
春日大社の岩石祭祀事例(奈良県奈良市春日野町)
立磐神社(奈良県奈良市大柳生町)
天乃石立神社と一刀石(奈良県奈良市柳生)
遅瀬八柱神社岩石群(奈良県山辺郡山添村)
遅瀬十三磨崖仏(奈良県山辺郡山添村)
乞食岩(奈良県山辺郡山添村)
東山の天狗岩(奈良県山辺郡山添村)
神波多神社の鏡石(奈良県山辺郡山添村)
舟岩(奈良県山辺郡山添村)
大亀石(奈良県山辺郡山添村)
大川遺跡対岸の磨崖仏(奈良県山辺郡山添村)
岩尾神社(奈良県山辺郡山添村)
片平八柱神社岩滝(奈良県山辺郡山添村)
愛宕山の大岩(奈良県山辺郡山添村)
三枚岩(奈良県山辺郡山添村)
烏帽子岩(奈良県山辺郡山添村)
天王さん(奈良県山辺郡山添村)
オニガツカの「オニ岩」「芋紡ぎ岩」(奈良県山辺郡山添村)
吉備津神社(奈良県山辺郡山添村)
カラブロ(奈良県山辺郡山添村)
狐岩(奈良県山辺郡山添村)
毛原廃寺跡六体地蔵(奈良県山辺郡山添村)
大師の硯石(奈良県山辺郡山添村)
神野山(奈良県山辺郡山添村)
六所神社(奈良県山辺郡山添村)
窯の焚き口(奈良県山辺郡山添村)
天王の森(奈良県山辺郡山添村)
水神の森(奈良県山辺郡山添村)
天神社の明星岩(奈良県山辺郡山添村)
腰越ウチカタビロ土塚(奈良県山辺郡山添村)
岩屋枡形岩(奈良県山辺郡山添村)
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡(奈良県山辺郡山添村)
弁天岩(奈良県山辺郡山添村)
送り狼石(奈良県山辺郡山添村)
御社尾の神石(奈良県都祁村小山戸)
室生龍穴神社(奈良県宇陀市室生区室生)
飛鳥の石造物群(奈良県高市郡明日香村・高市郡高取町・橿原市)

飛鳥坐神社(奈良県高市郡明日香村)
三輪山周辺の岩石祭祀事例(奈良県桜井市)
白山・ダンノダイラ(奈良県桜井市)
石光山(奈良県御所市元町)
平群石床神社旧社地(奈良県生駒郡平群町越木塚)
夫婦岩/天狗岩/三間石山岩石群(奈良県生駒郡平群町)

生駒十三峠の十三塚と石仏(奈良県生駒郡平群町)
阿須賀神社(和歌山県新宮市阿須賀)
宮井戸遺跡(和歌山県新宮市蓬莱)
白玉稲荷神社(和歌山県新宮市)
神倉山祭祀遺跡(和歌山県新宮市神倉)

橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)
高塚の森(和歌山県東牟婁郡串本町潮岬)
岸宮遺跡(和歌山県紀の川市貴志川町岸宮)

七福の庭石(和歌山県和歌山市)
弁財天山(和歌山県和歌山市)

中国・四国地方

番田の鉾立岩(岡山県玉野市番田)
玉比咩神社(岡山県玉野市玉)
尾針神社(岡山県岡山市北区京山)
吉備の中山/吉備中山(岡山県岡山市吉備津)
阿智神社(岡山県倉敷市本町)
楯築遺跡(岡山県倉敷市)
真宮神社(岡山県倉敷市)
岩倉神社(岡山県倉敷市)
石畳神社(岡山県総社市秦)

城山貝塚(徳島県徳島市城山)
段ノ塚穴古墳(徳島県美馬郡美馬町)

九州

佐田の京石(大分県宇佐市安心院町佐田)
世田姫の石神群(肥前大和巨石パーク)(佐賀県佐賀市大和町)
祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)
佐賀県鹿島市の岩石祭祀事例(佐賀県鹿島市)
湊の立神岩(佐賀県唐津市湊)

原山支石墓群(長崎県南島原市北有馬町原山)
拝ヶ石(熊本県熊本市河内町東門寺)

2018年4月12日木曜日

石仏山(石川県鳳珠郡能登町)


石川県鳳珠郡能登町柿生ホ字16番地

 石仏山は文献によって、オヤマとも潔戒山・結界山・像石山とも表記される。
 柿生の神道(じんどう)地区は、毎年3月2日にこの石仏山で祭祀をおこなう。

石仏山

石仏山

 山に少し入った山腹、急斜面の直下に、高さ3mの立石とその両脇に小立石を配した「前立」と呼ばれる祭祀場がある。
 大己貴命の依代と伝えられる。

石仏山
前立

石仏山
前立

 女人禁制が今も守られている。

石仏山

 前立の背後の急斜面を登ると、斜面途中に大小の岩石が密集しまるで石組のように見える構造物があり、これを「石の唐戸」あるいは単に「唐戸」と呼ぶ。
 「唐戸」の近くから、室町時代のものと推測される菊花双雀鏡が一面見つかっているという。

石仏山
唐戸

石仏山
唐戸

 急斜面の一番上方に、高さ4mの立石からなる「奥立」がある。
 「唐戸」と「奥立」をひっくるめて少彦名命の依代といわれ、本社とも奥の院ともいう。

石仏山
奥立

石仏山
奥立

 さらに「奥立」の奥の頂上には大小の岩石が散在し、磐境の跡と思われると『能都町史』は記しているが、踏査のかぎり頂上に特筆するほど目立った大小の岩石群は見つけられなかった。

 3月2日の祭祀では、神職が前日に宅内で御幣に大己貴命・少彦名命を招いた上で、当日、前立の前で献饌・神楽・祝詞・玉串などの一連の神事を執行する。
 また、釜で湯を焚き、そこに幣をひたす。幣にひたされた湯を参列者は自らの両目に拭っていくというお釜神事がおこなわれる。
 その後、直会などをおこない、地区の年間の諸祭礼の割り当てや宮田の耕作の担当、田作唄などが披露されたという。
 以上の諸特徴から、石仏山の祭祀は春に山の神を招き、その年の稲作を開始する山ノ神-田の神信仰の民俗例であると評価付けられている。

出典

能都町・編 『能都町史 資料編 第1巻 自然・民俗・地誌」 1980年
現地看板

高瀬宮(石川県羽咋郡志賀町)


石川県羽咋郡志賀町笹波

高瀬宮

高瀬宮

町指定史跡。
男石・女石・子石の3体から構成される。社殿は一切持たない。
巨石信仰の祭祀遺跡として指定されているが、遺跡として考古資料が見つかっているかどうかは不明である。

「高瀬宮」全国巨石磐座探訪記)に、この高瀬宮について詳細な解説がされている。

この石を高瀬大明神と呼び、社殿を何度築いても一夜で壊れてしまったという生粋の石神である。
社殿が建てられなかったことに対する説明付けがあるパターンは貴重だ。

「この石神さまには、ケライ筋にあたる石が四十八個ある」という記述も興味深い。このような陪従者を従える石神の例はほかにもある。

たとえば、『日本文徳天皇実録』(879年)に記された大洗磯前神社創建の起源となった「怪石」は、周囲に二十個あまりの小石が、まるで怪石に付き従うかのように集まっていたという。
また、『出雲国風土記』に記された楯縫郡神名樋山の石神には、百余の小石神が存在したといい、こういった事例と共通した観念を感じられる。

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩(岐阜県各務原市)


岐阜県各務原市那珂手力町4

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

 那加総社 手力雄神社の背後の丘は「清浄の霊山」とされ、そこに夫婦岩とも烏帽子岩とも真幣岩(みてぐらいわ)とも呼ばれる名石がある。
 当神社の祭祀の源流とも、奥の院ともいわれるが詳細は不明点が多い。

  手力雄神社はかつて真幣明神と称されたことがあり、真幣岩の名はそこから由来するものと思われるが、どの岩が最古の名称かは不明である。

 神社境内に横穴式石室が開口した円墳が2基残っている。当岩は、古墳の奥上方に立地しており、岩石信仰と古墳の同居事例の一つとなる。

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

手力雄神社の夫婦岩/烏帽子岩/真幣岩

出典

小林義徳 『那珂町史』 龍文堂 1964年

垣内遺跡三ツ岩(岐阜県高山市)


岐阜県高山市上野町字垣内

垣内遺跡三ツ岩

垣内遺跡三ツ岩

 垣内遺跡三ツ岩は、縄文時代中期後半と後期後半の集落遺跡である。

 従前よりここに「三ツ岩」と呼ばれる3体の岩石があり、これに触れると祟りがあるとの言い伝えがあった。
 さらに昔は3体ではなく他に7体以上(合計10体以上)の岩石が露出していたという。

 発掘調査時、環状列石遺構が見つかったことから、三ツ岩は縄文時代の環状列石の一部がそのまま現代に遺存し神聖視された事例ともされている。
 ただし原位置はほとんどとどめておらず、従来の配置状態や規模の多くは不明となっている。

 集落は土坑墓群を中心に形成されており、土坑群の外縁に沿って環状列石が存在し、さらにその周縁に住居跡が作られていたようである。

 日本ピラミッド論者の上原清二は『世界の神都 飛騨高山』( 八幡書店 1985年参照) の中で、三ツ岩を「上野平面ピラミッド」と呼び、平面状の日本ピラミッドとして評価した。
 上原は、三ツ岩が磐境であるならば中心に太陽石があったはずだと考え、その太陽石候補を上野平の村境にある黒岩(弁慶岩)と推測している。この黒岩の所在を現時点でつかめていない。


2018年4月8日日曜日

河合の陵/川合の陵/阿智神社奥宮の磐座(長野県下伊那郡阿智村)


長野県下伊那郡阿智村

 黒川と本谷川が合流し、阿智川になる合流点に阿智神社の奥宮が鎮座する。
 奥宮の背後は小丘状に盛り上がっており、これを「河合の陵」(川合の陵の表記もある)と呼んでいる。

河合の陵/川合の陵/阿智神社奥宮の磐座

 阿智神社祭神であり阿智の祖神である天表春命(アメノウワハルノミコト)の墳墓としてまつられている。

河合の陵/川合の陵/阿智神社奥宮の磐座

 陵の頂上に1個の岩塊があり、これは祖神を宿した磐座とみなされている。

河合の陵/川合の陵/阿智神社奥宮の磐座

 この岩石を囲む遺構が発見され、学者によって古代祭祀の跡であると立証されたと現地看板には記されている。
 しかし、どの学者のどの報告に基づくものか典拠ははっきりされていないため、詳細は分からない。磐座と読んだ古記録が残っているのか、磐座と墳墓の機能をどのように両立すると考えているのかが気になるところである。

 前宮看板には「奥宮近くの河原から、昔、暖かい水が出てきたといわれている」と記されている。

蛤石(岐阜県高山市・飛騨市)


岐阜県高山市上三之町82番地 飛騨民族考古館内展示


岐阜県飛騨市古川町高野

蛤石
飛騨民族考古館に展示されている蛤石


 石の表面が粒状の模様で埋め尽くされ、球状閃緑岩(ナポレオン石)という稀少石である。

 飛騨市古川町高野の古川城(通称 蛤城と呼ばれ、蛤石があったことに由来する)に、蛤石と呼ばれる雌雄2体の奇石があった。
 2体の蛤石は、夜更けに白気やうなり声を発するとして、人々から不思議な石だとして恐れられたという。

 古川城の廃城後、新たに高山城を築いた金森長近がこの蛤石の噂を聞き、高山城に移設させようと人夫に運ばせたが、石はどんどん重くなって道中でピクリとも動かなくなったばかりか、ブーンブーンとうなり声を上げるので人夫は恐がり、金森長近もあきらめて石を元の場所に戻すように命じたという逸話がある。
 ちなみに戻す段になると蛤石は急に軽くなったという。

 その数十年後、長い日照りがあり全く雨が降らなかったので困った村人達が、蛤石を川の下に沈めてみてはどうか、何か起こるかもという思いで雌雄の片方を沈めてみたところ、すぐに大雨が降ったという。
 その後、お互いバラバラになった蛤石から白気やうなり声などの変異は起きなくなった。

 雌雄の内、川に沈められた方はその後いつの頃かに引き上げられ、なにかしらの経緯かを経て、飛騨民族考古館に所蔵展示されている。もう一方(沈められなかったほう)は、古川城跡に今も現存する。
 蛤石は地質的に考えてこの場所に露出する自然石ではなく、飛騨の産出地のどこかから人為的に持ってこられたものだと考えられている。

出典

野沢保・下坂達哉・石原哲弥・下畑五夫 「飛騨古川町の蛤石」「(独)産業技術総合研究所 地質調査総合研究センター」サイト内) 2009年6月14日アクセス
「蛤石の伝説」「蛤石を発見:伝説の石を探し出せ」(やまてつさん 「恵比寿の郷」サイト内) 2009年6月14日アクセス

2018年4月5日木曜日

遠山川本谷の弁天岩(長野県飯田市)


長野県飯田市南信濃木沢 遠山川本谷

南アルプス・聖岳の一帯を源流とする、遠山川の本谷沿いにある岩盤を弁天岩と呼ぶ。

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遠山川越しに望む弁天岩(南から)

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弁天岩の頂部に祠がまつられている。

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背後は遠山川

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岩盤の手前には山神・水神の石碑がある。

遠山郷から見て、このあたりは遠山川本谷の奥山として意識されていたといわれる。
そのため「山仕事に入る人びと・猟に入る人びと渓流漁撈に入る地元の人びとは必ずこの山の神に祈りをささげたのだという」(『遠山谷北部の民俗』)。

出典

飯田市美術博物館編・発行 『遠山谷北部の民俗』(飯田市地域史研究事業・民俗報告書4) 2009年

下栗大野の子安三社大明神(長野県飯田市)


長野県飯田市上村下栗大野

子安三社大明神は、子安大明神(子安神社)・赤崩大明神・池大明神の三社からなる。
子安様とも呼ばれている。
寛政4年(1792年)の棟札が残る神社である。

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子安大明神の境内に2個の丸石がまつられている。

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下記の伝承がある。

  • 「二つの丸石はアカナギ沢の下に二つ並んであったもので、小野の人が小さな石を家に持ち帰って漬け物石にしたが、漬け物を漬けてもまずくて食べられない。おかしいと思ってハッケメと呼ぶ禰宜に八掛で診てもらったところ、子安様にあげてもらいたい石だから漬け物石はダメだと言われた。そこで子安神社に奉納した。そののちに大きい石も子安様にあげなければいけないと、大野の村中で細引きのモッコでこの石を担ぎあげたのだった。この石を撫でて腹を撫でると子が授かると信じられている。子供ができたら健康でヒトナル(成長する)ように、学校に上がったら勉強ができますように、と次々に神頼みをした」(『遠山谷北部の民俗』)
  • 「これらの石は、大野の入口にあたる赤ナギ沢から百年ほど前に出土したもので、それをここに移した」(同書)
  • 「いまでは、赤ナギ明神の本体と見られるようになった」(同書)
  • 「この石を三度撫でまわしてから、腹に手をふれると、子供が三人できると言われている」(同書)

丸石は2つではなく3つという話もある。一番右に置いてある平べったい石をそれに含めるのであれば3つにはなる。

出典

飯田市美術博物館編・発行 『遠山谷北部の民俗』(飯田市地域史研究事業・民俗報告書4) 2009年