2018年5月20日日曜日

種村季弘『不思議な石のはなし』(河出書房新社、1996年)

――ごろんところがした研磨も彫石も受けていない、不恰好な形の、どうかすると欠け目や傷だらけの石の不完全さそのものから、洗練された完全な石の一糸乱れぬ端正な純粋さにはない、汲めども尽きせぬ雑多な記憶がこんこんと湧き上がってくる。

著者の種村季弘氏は、本書を「ただの石のはなし」と一言でまとめる。

宝石や、有名人が持つ石に興味がないわけではないが、様式化されていない、系統立っていない石の「猥雑」さに「記憶の泉」を見出すのだという。

「どなたも同じような経験をされた覚えがおありではなかろうか」と種村氏は問いかけるが、どうだろうか。

種村氏がこのような理由で、ふと足を止めてしまった石の話をいくつかピックアップしよう。

■ 『北国巡杖記』

飢饉に困った村人が神に祈りをささげたところ、石のような真っ白なものが降ってきて、食べたら乳のように甘かった。これで命を長らえる人が多かった。

■ 『本草綱目』

石麪(いしそうめん)はめでたいもの。中国でも何度か石が麺になったという記録があり、さいたい飢饉のときに貧民が食べた。

■ 『日本霊異記』 下巻第三十一

美濃国の娘が処女解体して3年の後、石を2つ産んだ。1つはまだらの青色、もう1つは真っ青で、だんだん大きくなった。卜者に占ってもらったところ、これは伊奈婆大神の子であるということで、以後まつった。

■『日本霊異記』下巻第十九

肥後国の女が卵形の肉の塊を生んだ。不吉に思ってその肉を山の石の中に7日間置いておいたところ、肉の塊の中から女子が生まれた。
この女子には顎と生殖器がなかったが、7歳には法華経華厳経を暗誦し、嫁ぐことなく出家して人に敬われた。

なかなか不思議な話だが、古今東西の他の事例と兼ね合わせて、「石は食べる」「石は成長する」「石は産む」という石の類型化に持っていくには、ちょっと安直な気がして、もうすこし保留でいたい。

種村氏の指摘の中でぜひこれだけは取りあげておきたいのが、近代科学以前の人と石の関係についてである。

13世紀、博物学者のアルベルトゥス・マグヌスが著した『鉱物論』は、石を水と土の合成物と説いた。
水は透明で、土は不透明なものなので、その配合によって石の色や外見が変わると考えた。

これは科学的というよりも感性的な考え方で、まさに科学登場以前の論理である。
言い換えれば、この科学登場以前の論理に寄り添えなければ、当時の人を理解することはできないということを知る。

種村氏は言う。
「石は石、ではなくて、動物植物とじつに気まぐれにまじりあい、おたがいの間の境界をすりぬけて自在に交通しあうのである」

現在の科学的分類に囚われることで、その分類が現われる以前の「現実」が見えなくなる。
祭祀考古学でも、最近「依代」が折口信夫の分析概念であり、それに囚われることで依代とされてきた数々の事例の現実が捻じ曲げられていると指摘されることがある。

鉱物・植物・動物という括りも、科学的な事実はどうあれ、石は石、石以外は石以外という眼鏡をかけて目の前の対象を見ることで、その時点ですでに歴史研究者としては失格なのかもしれない。
当事者が、鉱物・植物・動物という括り、石と石でないものの括りをしていなかったり、自分自身と概念が違っていたら意味がないのだから。

食べ物と思っていた麺や、人間と思っていた赤ん坊ですら、石の研究として視点を向けなければいけない。そんな次元である。


先日、このようなツイートを見かけた。
何年前とは言えないが、以前の自分なら科学的ではないという考えに囚われていたかもしれないが、そもそも歴史的研究において、科学的態度はあって良いが、その事象自体が科学的かどうかを研究対象にあてることは別の話であると、今なら理解できる。

もちろん上記ツイートの説も仮定を前提とした話なので、否定または肯定という両極に偏ることも適切ではない。
そうだったかもしれないな、という気づきにとどめておくのが、今の私の気持ちである。

昔の人の気持ちをすでに理解できたかどうかなんて、おこがましい。

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