長野県長野市戸隠 戸隠神社(戸隠山)
戸隠神社は元来は学問行者が開山した霊場であり、山岳仏教・修験道の系譜で隆盛していたものが、明治の神仏分離を受けて神社となったものである。
戸隠神社奥社(奥院)参道の有名な杉並木だが、これも江戸時代に植樹されたものである。
戸隠山を練り歩いていた学問行者が諸仏と出会った場所が、現在戸隠神社奥社の背後にある本窟・宝窟であり、戸隠の地主神ともいわれる九頭龍大神と出会ったのが現在九頭龍社の背後にある龍窟と伝えられている。
奥社(奥院)の裏に見える岩肌。本窟・宝窟と目されるが内部を見ることはできない。戸隠信仰の本髄はここにあるはずだが感得することはできなさそうだ。
九頭龍社に接している岩肌。社の本殿はこの岩盤の中に導かれており、龍窟と思われるがこちらも構造不詳。
戸隠山には、このような岩窟の行場が山中各所に分布していたといい、戸隠三十三窟と総称されている。
三十三窟と思しきものが江戸時代の絵図にも描かれているので列挙してみたい。
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「信州戸隠山惣略絵図」(江戸時代作推定)
上絵図は33カ所描かれていないので、下の近代の絵図も参照してピックアップしてみよう。
http://www.i-repository.net/il/cont/01/G0000307npmh/000/218/000218977.jpg
「国幣小社戸隠神社御境内図」(1900年作)
- 本窟(宝窟)
- 龍窟
- 大岩窟
- 大多利窟
- 仙人窟
- 歓喜天窟
- 帝釈窟
- 金剛窟
- 大威徳窟
- 水晶窟
- 不動ノ窟
- 軍タリ窟
- 胎内窟
- 隆三世窟
- 愛染窟
- 毘沙門窟
- 聖天窟
- 長殿窟
- 三層窟
- 西窟
- 獅子ノ窟
- 象ノ窟
- 五色窟
- 大隈窟
- 小隈窟
- 中ノ窟
- 日中窟
- 雷ノ窟
- 経蔵窟
- ヤクシ窟
- 梯願窟
- 塔窟
- 般若窟
- 法華窟
- 智慧ノ窟
複数の文献から拾い出したところ、33カ所を超えてしまった。時代と文献によって、三十三窟の選定には揺らぎがあるらしい。
(または、同一物に複数の名称がついているか)
また、裏山には「礼ハイ石」「マンダラ石」の字も見え、山岳仏教特有の岩石信仰の跡も見られる。
これらのいくつかは所在が特定されているが、中には位置が分からなくなっていたり、現在では到達至難な場所もあるとのことである。
一部の岩窟については、導いてくれる専門のガイドの方もおられるようだが、本格的な登攀装備は必須だろう。
ほか、気になったものをいくつか。
社務所の隣にある、岩に囲まれた施設。
参道脇に露出する岩塊の岩陰に祀られた石仏三体。文政2年(1819年)の銘がある。
現代の岩石信仰あるいは特別視と呼ぶべき所産。参道脇に存在。
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