三重県四日市市三滝台4丁目
参考文献
蒲池勢至「信仰と生活」(四日市市・編発行『四日市市史編さん調査報告 第二集 川島町の民俗』1991年)四日市市・編発行『四日市市史 第5巻 史料編 民俗』1995年
三滝台団地の一画に個人が建てた地蔵堂がある。
個人がまつっていた私的な堂が、今は団地一円で受け入れられているらしい。
訪れた時も、堂入口の建て替え工事をしていた。いまでも生きた霊場である。
詳しい由来は上画像をご覧いただきたい。
地蔵尊とあるが、元々の信仰が、地中から出た石にあることは疑いない。
近代化した以降の岩石信仰である。
『四日市市史編さん調査報告 第二集 川島町の民俗』にはこのような記述がある。
「石は地蔵でありトイイシ(問石) である。トイイシは重軽石でもある。林一氏は『○○してもよろしいでしょうか。よかったらくっついて下さい』『○○してもよろしいでしょうか。悪かったら離れて下さい』などと問い掛けて石を持ち上げようとする。」
良い時は石が上がらず、悪い時は石が上がるという形式の石占だろうか。
石が信仰対象でありながら、占いの道具の性質も複合していることがよくわかる記述である。
『四日市市史 第5巻 史料編 民俗』によればこうした重軽石は、四日市市内で三本松町の薬師堂(オモカルサン/ミクジ石)、紅葉谷の地蔵堂、六呂見町の地蔵堂、元新町の藤見善八郎氏宅などに類例が見られたという。
私も四日市市松原町の聖武天皇社で座布団に乗った自然石を2体見たことがある。
堂内の右側に、台に据えられた丸い石が見え、その左に地蔵を刻したような石がある。
現地看板に「堂内右側にもこぶし大の石が二個ある」と記載されたものだろうか。ただ、地蔵様の石を二個のうちにカウントして良いか憚られる。
手前の二重座布団の上に何も置かれていないのも気になる。
鈴木林一氏と稲垣小兵氏が地中から見つけたという石は、台に据えられた丸石だろうか?重軽石のほうだろうか?
掘り出したのは一個だったのか、それとも複数個(堂前の二個と重軽石を合わせた三個)だったのか、後から追加奉献された石が混ざっているのか。現状ではよくわからない。
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