三重県四日市市采女町
参考文献
四日市市・編発行『四日市市史 第5巻 史料編 民俗』1995年日本武尊が東征の帰途、伊吹山で怪我を負い、都に戻る途上、急坂にあえいで、杖をつきながら越えた。
ここを現在、杖衝坂(つえつきざか)と呼び、三重県四日市居采女町に伝承地が残る。
杖衝坂は旧東海道でもあり、後世、ここを通った松尾芭蕉が「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」と詠んだ。
杖衝坂の入口
そんな杖衝坂を上がりきった場所に、血塚をまつる血塚社がまつられている。
ここは日本武尊が足の出血を封じた旧跡とされ、石を重ねて塚としている。
日本武尊はこの後、能褒野(同県亀山市と推定)で亡くなったという。
血塚社
『四日市市史 第5巻 史料編 民俗』に下記の記述があった。
「血塚社はミコトの足から流れ出た血を封じた場所とか、御神体がミコトの血がついた石であるという言い伝えがある。境内に石が積まれているのは、御神体が石であるからといって積む人がいるためであると言う。」
御神体が石だとなぜ石を積むのか。一見納得しそうになって、理屈としては完全にはつながっていないことに気づく。そこに文字化されていない岩石信仰の心が垣間見える。
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