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2018年10月7日日曜日
金刀比羅神社の「象乃岩」(愛媛県大洲市)
愛媛県大洲市新谷 金刀比羅神社/山口神社 境内
2012年、大洲市立博物館の大洲史談会の方から教えていただいた場所だった。
大洲市の巨石文化と言えばその道では有名だが、いざこの場所を紹介しようと現在のインターネット状況を調べてみたら、検索にあまり引っかからないことに驚いた。
当時、大洲史談会の方からは懇切丁寧に大洲の巨石文化に関わる資料をいただいたのだが、それらの巨石関連の資料には取り上げられておらず、ここだけは住宅地図で位置を示してくれただけだった。
大洲の神奈備山の一つである神南山の北麓に位置する巨岩ではあるのだが、ここで紹介しておきたい。
楼門を擁する立派な神社である。
近年の改修工事の碑も建ち、地元の篤い崇敬が窺われる。
一時期、山口神社と称されていたが、平成16年、元の名と思われる金刀比羅神社に名を戻した。
社殿に接して巨岩が控えている。
巨岩に接して社殿を建てたというのが正確な表現か?
「象乃岩」の標示が立てかけられている。
愛媛県神社庁のホームページに唯一、「古代は、象の岩(自然岩)で祭祀が行われていた。」と記されている。
藤堂高虎が建立した神社というから新しい創建と思うが、この記述が事実であれば元は神社ではなかった聖地に、神社を建てたということか。調査不足である。
「象乃岩」という名称も類例を聞かず、この形態もやや独特である。
一応、「象乃岩」の岩盤の上に社殿を建てたかったという想念を感じられる。
「象乃岩」からもっと場所を離して社を造ることもできただろうに、どうしても岩盤とくっつけたかったからこうしたと思わせられる距離感だ。
ここまできたら、ご神体の岩をすっぽり覆って秘匿する神社も他にあるが、そうもしていない。
神社建立当時の人々が、この岩をどうしたいと思って、岩の上にもつくらず、岩の手前にもつくらず、岩をかくすわけでもなく、でも、岩にちょっと切り合うように上に重なろうとしたのか、これはなかなかに興味深い。
狭いからそこにしかつくれなかったというケースではなく、土地にやや余裕がある環境である。
巨石文化関連資料で触れられないのがよくわからない巨石だが、それは「象乃岩」がシンプルな自然石とみなされたからだろうか?
人工的な巨石遺構は耳目を集めるが、ただの自然石と評価されたら、石好きの世界の中でも端っこのほうに行きやすいというのも、今後気をつけたい問題の一つと言える。
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