愛媛県大洲市高山ニシノミヤ
民族学者で有名な鳥居龍蔵が1928年に「東洋一のメンヒル」と称した話が枕詞となっている、有名な巨石である。
「高山メンヒル」の通称でも知られるが、地元で古くから伝わる呼び名は「石仏(いしぼとけ)」だ。
高さ4.75mの緑色片岩で、立石の東側(前面)を仏、西側(背面)を神(権現様)とするらしい。
前面 仏側 |
大洲市史跡第1号に指定された。 |
江戸時代、大洲藩が川に架ける石橋にするために運んだところ、翌朝には元の場所に戻っていたという逸話が残る。
石そのものの改変はもちろん、周りの草木も持ち出すと祟りがあると伝えられる。
一方で、目に疣(いぼ)がある人が参るとご利益があるという風習も残る。
この立石が人工的に立てられたかどうかはまだ解決されていない問題であるが、 石自体はこの山中から産出する石種であることと、立石は麓や周囲の山々が一望できる眺望の地に立っていることを、どのように解釈するかで立場が分かれるだろう。
石仏からは神南山や大洲富士(上写真)など重要なランドマークも一望できる。 |
『大洲市文化財調書集』では、山田弘通氏の発言として「学問の為にはもう一度白紙に返ってあらゆる角度から疑ってみるのも方向かと思う。」と引用されている。
この立石には鳥居龍蔵や樋口清之の1930年代の研究結果が21世紀現在も踏襲されている状況であり、それは古代巨石文化ロマンとしては理解できるが、石仏のためにはならないだろう。
なお、立石が存する高山ニシノミヤ地区には他に「いぼ岩」「天狗岩」「神石(長持石)」などの名前が付く岩石群があるそうだが未見である。
参考文献
樋口清之『伊予大洲の古代文化』梁瀬神綾奉賛会 1930年大洲市教育委員会編『大洲市文化財調書集』1989年
五藤孝人「南久米ものがたり 石の古代史と民俗誌」『温古』復刊第27号 大洲史談会 2005年
関連ページ
金刀比羅神社の「象乃岩」(愛媛県大洲市)
粟島神社/大元社の巨石(愛媛県大洲市)
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