静岡県牧之原市西萩間
「子生れ石」「子生まれ石」「子生石」などの表記の揺らぎがあるが、同じものを指す。
「遠州の七不思議」のひとつに挙げられる奇観。
大興寺(曹洞宗)の墓所と、その裏山を越えた御相談川の二ヶ所で見ることができる。
御相談川の崖に、丸い石がポコポコと顔を出している。
大興寺の住職が亡くなる時に、この石がこぼれおちるという。
(この石が落ちると、住職が亡くなるともいう)
寺伝によると、大興寺を開山した大徹和尚が亡くなる時に、自らの身代わりとして裏山から石が生まれると予言し、そのとおりこの川から石が生まれ落ちたので、弟子たちは大徹和尚の墓石にしたのが始まりという。
その後、代々の住職の代替わりに子生れ石が出現し、住職たちの墓石はすべてこの子生れ石が使用されているということになっている。
今も、大興寺の本堂向かって左奥に墓所があり、まゆ形ともひょうたん形とも形容される石の無縫塔(卵塔)が整列している。
市指定名勝「大興寺の無縫塔」
ある住職は死期を悟り、子生れ石が今にも落ちそうになっていることを知った。
その石を寺の小僧に無理やりあげたところ、小僧が亡くなり、住職は病状が快復したという逸話がある。
また、住職の生前の徳で、子生れ石の大きさが変わるという話も付帯している。
子生れ石は墓石になるだけではなく、 子生まれという名とその玉の形からか、子宝・安産の霊石としてもまつられるようになった。
子生れ石の産出地である御相談川のほとりには、このように二体の丸石が堂内にまつられている。
堂の壁にかけられた紙には、この石が子宝のご利益があり拝むべきことが書かれている。
丸石の手前には、おびただしい捧げ物とともに、小さな丸石も集積しており、芳名帳には毎日のように参拝者があること、そして祈念とお礼参りの一言が今も記され続けている。
子宝に悩む人にとっては、まさに人事を尽くして天命を待つといったところだろう。
こう見ると、ひさご・ひょうたん形から来る仏教の卵塔の信仰と、丸石からくる性信仰の二系統に分かれていることを認めることができるが、大元にあるのは、石の中に「たま」の存在を信じる根元的なものだろう。
これを予言した大徹和尚が、祟り石伝説として有名な那須殺生石の退治に関わる人物だったことも、石の霊性に因縁めいたものがある。
なお、子生れ石が発生する成因については、ノジュールと呼ばれる石化現象によるもので、元は小さな砂粒や礫だったものに、水を通して他の岩石成分がひっついて丸石になったものと考えられている。
詳しくは、「子生れ石」(ウェブサイト「雲根志21」内)が専門的なので参考にしていただきたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。