静岡県榛原郡川根本町
大井川鉄道の千頭駅から徒歩15分、「智者の石」がある。
英訳"Philsopher's stone"
洒落たネーミングがついている。
「智者」の名は、東にそびえる智者山(一名、神戸山)および山中に鎮座する智者山神社に由来する。
「智者の石」は、山裾と大井川の境に立地する。
智者山神社は真偽不明ながら風土記の時代に遡る古社とされているが、ではこの石はそれに比肩するものなにかというと、そういうわけではない。
こちらが「智者の石」。
裏山を借景とし、左には大井川の川音が聞こえる素晴らしい立地である。
「智者の石」は1個の石ではなく、2個の石が支え合うように寄り添っている。
横に由来を書いた看板がある。
詳しくは上の由来をご覧いただきたいが、つまるところこの石は、平成16年(2004年)11月25日にまつられたとはっきり書かれている。
現代の岩石信仰と言って良い。
この石が選ばれた理由も明記されている。
- この石は長い間、智者の聖水を浴びた。
- この地を訪れる人々の心身を清め、活力の沸く石として祈願された。
「智者の聖水」は石のすぐ東にある。
こちらは、智者山神社や地元の城主・小長谷氏が造った浅間山を参拝する前に、身を清めるために使ったと伝えられる。
禊ぎの聖なる水であり、それを浴びた石も同じ聖性を帯び、禊ぎや清めの祭祀装置として変貌したことになる。
石自体が祈願の対象になっているが、大元は智者山の信仰から始まるものであるから、石自体は一種の眷属としての信仰と言っていいだろう。
私感だが、三重県伊勢市の伊勢神宮外宮の「三ッ石」や、高知県高知市の土佐神社の「禊岩」などと同じ発想に属する信仰である。
また、説明板の記述が正しければ、「智者の石」はこの水を浴び続ける位置に元々あったということになる。
それを人為的に移設して、わざわざまつるようになった動機付けは何だったのだろうか。
観光協会が立てた看板なので町おこしの可能性も否定できないが、あえての石を選出した「担い手」は誰で、その人はどんな心の動きだったのか、現代民俗として気になっている。
山と川の境に石を設けたあたりも自然祭祀をよくわかっていて、看板がなければコロッと勘違いしてしまう心憎い演出である(あるいは当然の帰結か)。
調べきれていないが、平成16年当時の地区の広報冊子などに当たれば、このあたりの祭祀経緯が記録されているかもしれない。というより、たった15年前の歴史であるから、後世のためにも記録されていてほしい。
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