埼玉県飯能市岩渕
岩井堂観音と東京浅草寺の奇縁
継体天皇期、不詳の旅僧が霊験を得て、成木川沿いに露出する岩肌上に、聖観音像と堂宇を建立したのが始まりという。
岩井堂観音の岩肌
縁起には後日談がある。
安閑天皇期に暴風雨が起き、この堂宇と聖観音像は成木川へ流された。
聖観音像は、時代を経て推古天皇36年(628年)、浅草浦で2人の漁夫に発見された。
その聖観音を本尊として建てたのが東京浅草寺という。
東京浅草寺の淵源ともいうべき奇縁であるが、浅草寺側は公式にこのことについて立場をはっきりしていないようだ。
ただ、浅草寺第24代貫主だった清水谷恭順はこの口承を史実とみなし、昭和8年9月15日に1体の聖観音像(浅草寺の本尊とは別のもの)を岩井堂観音に奉還している。
岩井堂の岩山
岩井堂は巖堂の転訛とされ、名が示すとおり岩山に座す堂である。
仏僧が岩場で霊験を得たことからも、岩は単なるランドマークにとどまらない。
岩の背後には2棟の小祠がまつられており、仏だけでなくここに神々を見た人々もいる。
岩山の頂上は、単体の岩塊がまるで置いてあるかのように盛り上がっており、その手前は斎庭のごとく平坦面が広がっている。
この広場からは、成木川対岸の集落を見渡す良好な眺望を有し、私の探訪日には見えなかったが富士山も望めるという。
聖観音が流されたという成木川。岩山の下に流れており、ここに深い淵があることから岩渕の字名が起こったらしい。
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