2019年3月10日日曜日

静之神社(埼玉県飯能市)


埼玉県飯能市坂元字小床向

神社の読み方が文献などにルビがなくわからない。「しずのじんじゃ」だろうか。

静之神社は小床(こいか)と呼ばれる集落の鎮守となっている。
小床地区の一番奥にある建物で、この神社から奥は「子の権現」(足腰・火災に霊験ありの古刹)の登山道が続く。

静之神社

静之神社

写真を見てのとおり、岩盤の上に建つ神社である。

『飯能市史』(1985年)には「岩をそのままにして、その上に社を苦心して建てたもの」とある。
多少とはいえ岩盤の前には平地もあるのに、あえて岩盤の上に神社を設けているあたり、岩盤と切り離せぬ信仰があったことを窺わせる。

静之神社

こう見ると、岩盤の上に建つというより、岩に取り込まれているかのようである。

岩盤の上面に踊り場のような平坦面があり、そこに社殿を建てている。
そして、社殿の背後は庇状に岩が重なり合い、岩屋のような空間を形成している。社殿自体がこの窟に半ば取り込まれている。



『飯能市史』によると、小床の地名はこの神社が「神の床」たる岩の上に建つことから由来するものではないかと指摘している。
床という一字には多様な解釈が認められるので、この一説にすぐ肯くことはできない。

しかし、たとえば奈良県の平群石床神社の「石床」が、磐座と同義であるという神道考古学以来の研究解釈を参考にするならば、小床の「床」も単なる床という意味ではなく、この岩を「神の降り立つ場所」とみなした表現かもしれない。
現に、静之神社は岩盤の上面が平坦面を形成している。

また、静之神社の立地も興味深い。集落の最奥で、本格的に山道に入る一歩手前に立地するという点では、山と里の境界に立つ祭場であり、神を集落に迎えるための「神の床」であったという蓋然性を高めている。

今はその岩盤に人為的な階段状加工が施され、岩盤上の社殿に参れるようになっている。
神が降りる床は、当初、姿が見えない神を迎える祭祀だったが、現在は社殿という可視化された祭祀対象に置き換わった。

参考文献

織戸市郎 「1389.小床向」 飯能市史編集委員会・編 『地名・姓氏』(飯能市史 資料編11) 飯能市役所 1985年

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