京都府京都市北区雲ヶ畑
鴨川の源流を守る聖地が岩屋山志明院である。
正式な寺号は金光峯寺と称し、岩屋不動の通称も知れ渡っている。
竹村俊則氏『昭和京都名所図会3 洛北』(駸々堂出版、1982年)によると、岩屋山と志明院について次のとおり説明している。
ここは都の北方にして皇居のご用水たる賀茂川の水源地にあたるので、貴船神社とともに川上神として天津石門別稚姫神社が山中に創祀された。そこは志明院本堂背後にある神降窟と称する巨岩のあるところで、今なお岩窟内から清泉が湧出している。
この神降窟を拝したいと思って十余年、機会到来し今回訪れることにした。
雲ヶ畑へのアクセス
京都市内の北の奥座敷の一つと言っていい雲ヶ畑地区。
地下鉄北大路駅から今も定期的にバスが運行されているが、朝と昼の2便で往復運航のため、バスを往路・復路使って参詣するのは現実的ではない。
私は往路を京都駅からタクシー(7000円強)利用し、復路にバスを利用した。
バス停「雲ヶ畑岩屋橋」~志明院間は徒歩30~40分である。
マイカー利用が最も自由度が利き、志明院前の駐車場も広々としているが、2018年夏の台風によって車道の一部は修復中である。軽自動車であれば問題ない。
山あいの道。かつての植林地の倒木。台風による山荒れの激しさも重なる。 |
志明院を護るということ
志明院を訪れることを奨める理由は、霊場内の写真撮影が禁止されていることで、己の肉眼で焼きつける経験に代えがたいものがあるからである。
写真撮影についてカメラを預けないといけないことについて残念がるコメントがネット上に散見されるが、この聖地を護るのはほかでもない志明院の方である。
聖地を垣間見ようとする立場の私たちは、 聖地を護持する信仰者の意思を尊重することがせめてもの敬意の表し方ではないだろうか?
クチコミをあてにせず、自分の目でお話をうかがってみよう。
基本的には、よそさまの敷地に入るという謙虚さをもてば問題は起こらないように思った。
参詣順も教えていただけるし、正確には山門前までは撮影可能である。
本坊 |
山門。この奥は現地で体感してほしい。 |
参詣順は山門→本堂→お滝→薬師如来・鳴神岩屋→岩屋清水。所要30~60分(私は約2時間ゆっくりと) |
訪問時、2018年の台風による被害は甚大で、石段も修理中だった。 |
台風による被災状況。檀家がいない祈願寺であることも憂慮。 |
志明院境内地の記録 山門~鳴神岩屋
ここからは写真ではなく文章で境内地の各霊場を記録したい。いつもは写真を撮るから油断していたが、写真がないことで記憶に焼き付けようと感覚を研ぎ澄ますことができ、一度の来訪に甘んじず何度も訪れることへの意識を向けることができた。
山門を越えると石段が続くが、途中の右手につぶれた鐘楼がある。
再建ままならず、つぶれたままの姿でそこにある。
鐘楼の脇に岩盤が剥き出している。「お静明神碑」と刻まれた石碑が立っている。
その上に稲荷がまつられている。
『昭和京都名所図会』の竹村氏の手による絵図には「お六明神」と記された場所のようである。
一方の左手には岩峯がそびえ、天然記念物植生であることを示す看板が立つ。
しかし、手前に架けられた橋を渡ることはできず、植生および岩峯を近くで拝むことはできない。
石段を登り切ると本堂だが、この本堂の周囲に小祠が取り囲んでいる。
岩峯の露岩の前に祠や堂か寄り添っていることが多い印象を受けた。
山門外から見えた祠の一つ。石仏をまつる。 |
「お滝」は飛竜ノ滝または岩屋の滝と呼び、滝の上に飛竜権現の社が建つ。
滝の左には八大龍王の社もまつられ、紛うことない賀茂川水源の化身たる滝・龍の聖地である。
滝の背後には二体の巨木が門柱にようにそびえ、右手は岩の上に根をはっている。
滝の上流は沢となり、その沢の上に「薬師の岩屋」と「鳴神岩屋」が横並びになっている。
岩穴が二つ連続する光景であり、本堂から見ると左手の沢上流に位置する。
沢の上流は立入禁止札がかかっているが、奥の岩に鉄製はしごがかかっているのが見える。
沢を遡らず、沢にかかった橋を渡って二つの岩屋を拝む。
正面向かって右が「薬師の岩屋」である。
岩陰を岩屋としているが、窪みは浅く垣も巡らされ中には入れない。
岩屋内には二体の石仏が安置され、花が手向けられている。
『昭和京都名所図会』を読む限り、ここは「納経窟」で、弘法大師が石に経文を書いて納経した場所と同一と思われる。
正面向かって左が「鳴神岩屋」である。「護摩の岩屋」「護摩洞窟」とも呼ばれる。
「鳴神」の名は歌舞伎狂言「鳴神」から由来し、雨を降らせる竜神を封じこめた場所として知られる。
雨宿りできるほどの大きな岩屋空間で、元々は自然形成の洞窟を聖地にする段階で大きく岩屋に広げた印象が岩肌の造形から感じられる。
岩屋の外観であるが、岩屋空間の上部にもうひとつ浅い窪みがあり、縦に亀裂が走っている。
(志明院のパンフレットには岩屋の近接写真が掲げられている)
岩屋内には護摩行の施設が残っており、岩屋の天井は赤黒く煤けている。
内部には不動明王をまつり、併せて岩光龍王、八方霊神、お六大神などの石碑も並ぶ。
薬師の岩屋と同様、花が手向けられている。
岩屋内に座すと、背後の斜面下には沢が下に流れ、水流音を聴きながらの行となる。
加えて、岩屋内では天井から水が滴り落ちているため、岩屋内にいると水が滴る音も聴こえてくる。
この二つの水音が、音の流れるペースが違って入り混じる。そこに鳥のさえずりも加わり、いよいよ五感が研ぎ澄まされながら目の前の岩屋と向かい合う。
聖地である。
志明院境内地の記録 神降窟
薬師の岩屋、鳴神岩屋の沢とは別に、本堂背後にはもう一つの沢が合流している。
その横に石段が続いており、これが神降窟に続く道である。
石段の途中、左手に祠一宇があり、桜天満宮(桜天神)と呼ぶ。
この石段を登る途中、立入禁止札で封鎖されている。「くま、すずめばち、まむし、ひる」に注意とのこと。
石段を登り切った奥にはお堂が見えるが入ることはできない。
『昭和名所図会』の絵図を参考にすると、「神変堂(開山堂)」や「蛇穴」があるという。
他にも、立入禁止の岩屋山山中には「薬師岩」「天狗岩」「座禅石」「金掛岩」などの岩々が描画され、「飛岩」「鏡岩」などの奇岩怪石の存在も記されるが、詳細は不明である。
さて、石段の立入禁止札から視界の右上を眺めると、鉄筋の舞台造の広大な岩屋がそそりたっている。
これが神降窟であり、神降巌の名もある。
岩屋にまつられた堂は根本中院とされ、天皇の即位時には勅命を奉じて本尊開扉された奥の院である。
岩屋の大部分は垂直の岩崖であり、『昭和京都名所図会』によれば高さ約30mとされる。
下斜面の薬師・鳴神の岩屋も明らかな聖地だったが、その二つをさらに包み込む親分感を否めない。
岩屋のスケール感は、舞台から上を見上げると実感しやすい。舞台から岩崖の下側を覗いてもいい。
岩崖の上方には志明院名物のシャクナゲが咲いていることにも気づくだろう。
こちらは山門外で撮影したシャクナゲ |
岩屋の特徴は、まず、横に空間が広がっている。
岩崖の真ん中に、口が裂けたように横に亀裂が入り、そのあんぐりあけた口の中に祠をまつっている。
岩崖はそうではないのだが、岩屋の中はやけに赤みを帯びる。これは鳴神の岩屋の護摩行と通ずるものがある。
岩屋空間の中心に祠があり、左手に岩屋清水の水源がある。右手にも玉垣に覆われた石仏が一体安置されている。
水源は、沢にはなっていないがたえず岩肌を濡らしていて、最奥部の結界の奥に水たまりができている。この水たまりは自然に形成されたものか人工的にしつらえたかは不明。
これが鴨川の水源たる神聖な水で「香水」と称され、眼病ほか諸病に霊験あると信じられている。
この神降窟・神降巌・香水が、延喜式内・天津石門別稚姫神社の旧鎮座地とみられている。
鴨川の源流は、この神降窟と薬師・鳴滝岩屋側の二つに分かれている印象を受けた。
神降窟の水源前に座すと、10秒〜20秒に一回、ランダムに天井の雫が落ちてくる。
ちょうど水たまりの真ん中に落ちると、ポトンと大きめの音が聴こえる。
この水滴の感覚に合わせて佇んでいると、自らのあくせくした心に気づくことができる場所でもあると感じた。
岩屋内の岩の凹凸に合わせて、風がうねりながら入ってくるため、独特の肌感覚もある。夏でも涼しい場所だろう。
五感で感じたい聖地である。
私が訪れた中では、三重県多度大社の狭い谷間を遡っていく感じに雰囲気が似ている。
神降窟少し下に、川の対岸に立入禁止の岩屋が見える。
志明院外の車道沿いの祠。写真中央の基壇上の苔むした岩塊に注目している。 |
浄石 |
バス停「雲ヶ畑岩屋橋」から南に徒歩5分、福蔵院入口の祠。 |