2019年5月7日火曜日

岩神/おんじく石/温石(福井県大飯郡高浜町)


福井県大飯郡高浜町岩神

高浜町岩神の地名の元になった岩石が現存する。



一見すると路傍の小堂であるが、遠慮しつつ中をのぞいてみると、そこにあるのは仏像ではなくまるで古木のような異形の岩石だった。

木の幹が石化したような形状と、石の左側と右側の質感もかなり異なる。


『福井県史 通史編1 原始・古代』(福井県発行、1993年)によると、高さは約3m、胴回りは約2mの大きさと書いてある。

これは「おんじく石」「おんじゃく石」の別名があり、いわゆる「温石」とされている。
温石と聞くと、石を熱して布などで包むことで暖をとった自然の知恵であるが、誤解してはいけないのは、この異形の岩石自体を暖めて抱きついたというようなものではない。

文政3年(1820年)の『西国巡礼略打道中記』に、この岩神の最古の姿を伝える記述がある。
青柳周一氏「江戸時代の越前・若狭を旅した人々」(『福井県文書館研究紀要』第 12 号、2015年)に岩神の該当部分が全文公開されている。こちらを元に紹介していこう。
岩神 こくぞぼさつ(虚空蔵菩薩)ト申て、大きないわがある
当時、岩神がすでに虚空蔵菩薩の石仏として崇敬されていたことがわかる。
神であり、仏であった。
小供がかなづちでかじりとりにして(中略)一もんじや、かわんせかわんせト申てやかましく申
子供がこの岩神を金槌で削り取って、「この石のかけらは一文じゃ、買え、買え」とやかましかったという。
これは、この道中記の作者が当地を訪れた時に目撃した光景だったのだろう。
子供たちのたくましさが伝わるのとともに、岩神を欠けさせることへのタブーは感じられない(念のため、霊石の一部を欠いて薬やご利益とする信仰は栃木県日光の手掛石など複数あり、特異なことではない)。

四畳半もあるどうの内らに、大きないわがある
岩神が当時、すでに堂の内部に安置されていたことがわかる。虚空蔵菩薩の仏堂だったのだろう。
づつうのいたすおり、ひでぬくめて、いたむ所へあてるなり、又はらいたのせつハ、ぬくめてきれでつつミてあてるトなをるト子供が申候
頭痛があると、この石のかけらを火で温めて患部に当てたり、腹痛の節にも石のかけらを布で包んで当てると治るという触れこみだったそうである。

つまり、温石は単なる暖房器具ではなく、体の痛みを熱によって和らげる治療の道具だった。
もちろんそれは今考えると温熱療法に基づく効能であるが、本記録を読むかぎり、それはどんな石でもいいという論理にはなっておらず、虚空蔵菩薩に見立てられた岩神の体たる石片だったからこそ、体を治す力をさらに促進すると信じられ、それは貨幣価値すら帯びたのである。

前掲の『福井県史』は、虚空蔵菩薩の縁起と温石となった由来も収録している。

虚空蔵菩薩は、ある巡礼者がこの岩に虚空蔵菩薩の札を貼って、悪霊を追い払った故事に由来するという。
温石については、虚空蔵菩薩の札が貼られた数年後、伝兵衛という家の老母が最初に岩神を削り取って人々に売り払い、霊験があったことからこの風習が広まったとある。
虚空蔵菩薩の信仰が先で、温石の霊験が後続であるという時間の前後関係が、口承上で明確になっているのが興味深い。

また、大元のこの石がなぜ岩神として神聖視されるようになったかも説明がある。
いわく、この岩の上で村人がうたた寝をしていたところ、夢に神が登場して「われ岩神なり。この世をば打ちこわしてやる」とおっかないことを言うので、この岩をまつって今の祠を建てて鎮めたのだそうである。

この祠は最初は藁屋根だったが、ある人の夢に岩神が登場して、「藁屋根は藁が落ちるのが汚らしく、また、頭の上がどれだけ伸びるかわからないから瓦葺きにしてくれ」と告げたので、瓦屋根の建物に作り替えたという伝承まである。

頭の上がどれだけ伸びるか、は岩神自身がさらに大きくなるということだろうか?
そうすると成長石の性質をもち、石自身が欠かされても問題はない理屈にもなりそうだが、石が大きくなると藁屋根でも瓦屋根でも困ったことになるはず。
神の論理はよくわからない。

堂に掲げられた額。「岩神」以外の字が判読しにくい。


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