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2019年5月19日日曜日

泉岡一言神社(福井県三方上中郡若狭町)


福井県三方上中郡若狭町中野木

大和葛城山の一言主大神を当地に勧請した神社だが、創祀の委細ははっきりしていない。

泉岡一言神社境内

当社について詳しく紹介してあるwebページを2つ紹介しておきたい。

福井県神社庁の泉岡一言神社のページ
福井県神社庁|泉岡一言神社

福井県小浜市の和菓子店である耕養庵の一言神社のページ
一言神社

こちらによると、文永2年(1265年)の文献に「泉岡一言宮」の字が見えるようで、鎌倉時代までの足跡は辿れるようである。

また、勧請された時に一言主大神は「吾宮祠を好まず」と告げたそうで、そのため境内に本殿は存在せず、当社は「盤境」によって宮となすという。

「盤境」はすなわち「磐境」と見ていいが、社頭掲示で使用されている語であるため、この語の初出がいつまで遡れるかは不明である。

実際に、本殿をまつる位置には立石が1体置かれ、幣帛が捧げられている。
現状のまつられかたは、岩の境というより憑依物としての依代のような感がある。

拝殿とその奥の立石

盤境とされる立石


また、当社の背後の山を野木ヶ岳(野木山)と称し、その東南に支峰として野木小山がある。その山頂に当社の奥の院が鎮まるという。
明応3年(1494年)、野木山頂において雨乞いの祈願が小浜市の明通寺の僧によって行われ大雨が降ったという記録が同寺の「明通寺文書」に記されている(大森宏「泉岡一言神社」『日本の神々―神社と聖地 第8巻 北陸』白水社、1985年)。

野木ヶ岳(泉岡一言神社は写真右端の山裾)。写真右の支峰が野木小山。

こちらは未訪であるが、福井県神社庁のページに掲載されている画像が奥の院の画像であり、本社の立石と瓜二つの立石をこちらもまつり、やはり社祠はない。
山頂の立石のほうが野趣に溢れ、それを山麓に分霊した岩石が現在本殿代わりにまつられている立石といったところだろうか。

境内には他に、「一心」と字が刻まれた岩石や、一切の標示がないが玉垣に囲われ本殿と類似した構造の立石がまつられている。

標示に「御神意 一心」とある。石肌にも刻まれ、これ自体がまつられている。一心祈願の当社の由来にまつわる岩石か。

境内参道脇にまつられた一画

立石の手前に平石が見え、玉垣一帯を玉石を敷き詰める。それぞれの石の役割が異なる。

社頭には黒石が献ぜられている。一心祈願の折に黒石を以て献ずるらしい。

御神木 夫婦杉

夫婦杉の幹分かれの鞍部に積まれた石たち。


以上、さまざまな岩石祭祀の姿を伝えている。

前掲の『日本の神々―神社と聖地 第8巻 北陸』の泉岡一言神社の項には磐境を始めとする岩石信仰には言及されておらず、現在のところ、これらの祭祀を説明している記録にまだ出会えていないのがもどかしいが、近在の古墳群の分布とも絡めて興味のやまない場所である。

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