福井県敦賀市疋田
大岩大権現 |
麓の疋田地区 |
疋田地区の登り口に案内は見つからなかったが、疋田浄水場を目指せばそのすぐ近くに「大岩大権現」の標識を見つけることができる。
左が疋田浄水場/右が大岩大権現 |
手前まで舗装路のため車で登ることもできるが、途中に延命地蔵の滝もあるため、麓から歩くことを薦めたい。徒歩10分もかからない。
大岩大権現下流にある延命地蔵と滝 |
大岩大権現の由来は現地看板によると、慶応2年(1866年)の大雨で当地で山津波が起こり、その時にこの大岩の存在が大木・落石を防ぎ、水の流れを変え、麓の疋田地区への山津波の直撃を防いだことにより、疋田の人々が大岩大権現と呼んでまつったのだという。
綺麗に手入れされた境内。建物は付属せず、大岩をそのまままつる。 |
この岩が落石となったら悪石と化しただろうが、他よりもひときわ大きいこの岩が他の災厄から救った。 |
大岩大権現の裏側に回ると・・・ |
石の群集が岩陰を作り、向こう側に胎内めぐりのごとく貫通している(写真中央) |
現地看板。由来詳細はこちらを参照。 |
由来どおりであれば、明治維新直前の比較的新しい岩石信仰の事例だが、そこに語られている内容は極めて自然信仰であり、神格化への昇華も極めて汎人類的な心の動きである。
これはそのまま、現代においても数多ある自然災害のなかで生まれた"畏怖"や”奇跡”と通ずるものもあるのではないか。
言い伝えの中に、村を襲う「害なる落石」と、それを防いだ「善なる大岩大権現」という二つの岩石の語られ方が見て取れるのが興味深い。
ここでは、岩石が動かず、動く他の災厄を塞いだという「不動性」が「塞」「サカイ」に通じて信仰要因となっている。
そして、大岩に権現が宿ると村人が判断した決め手は、氏神にお伺いを立てておみくじを引いた結果、山王権現の加護によるものという託宣があったのだという。
時代背景もあってか、自然石をそのまま神に昇格することはあたわず、外部の氏神と山王権現の真意を加えた流れをくみとることができるだろう。
現在も、大岩大権現の隣には川が流れており、下流には滝があり、冒頭で触れたとおり浄水場・配水池も近くにある。
水量の豊かな環境にあることがたちどころにわかり、麓に人が住む限り、大岩大権現に頼る思いは変わることがないだろう。
大岩大権現に隣接したこの岩塊も奉献対象だとわかる。おなじく「動じなかった善神」か。 |
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