兵庫県姫路市 書写山円教寺境内
昔、この石の上に乙天、若天のふたりの童子がこの石に降り立ち、寺門を守ったという伝説が残っている。また別名「弁慶のお手玉石」と呼ばれ、この大きな護法石を、弁慶はお手玉にしたといわれている。
(現地看板より)
乙天は不動尊、そして若天は毘沙門天が童子に姿を変えたものとされており、仏の顕現である。
伝承の構造としては、聖なる存在が石の上に降り立った影向石の事例であり、聖地における信仰の中心という位置づけではなく、いわゆる眷属的な信仰対象が登場することにより、円教寺という霊地の神聖性をさらに高める役割を担ったものと言える。
また、ここに弁慶伝説が加わって二重構造の伝承石となっている。
二つの石の直径はそれぞれ径85cmと70cmを測るといい、それをまるで力石の習俗のごとく怪力ぶりを物語る聖跡としても見ることができる。
影向石や磐座的な機能を負う岩石としては台座感がすくなく丸形石だが、神仏の姿形を模した石や中に信仰対象を宿らせた語り口ではなく、あくまでも石上に神仏を呼び寄せる装置として語られている。
二つのお手玉石の右に接して岩塊があり、はじめこちらが護法石かと勘違いした。
看板を読む限りは護法石はお手玉石と同一物なので柵内の二石だが、この岩塊にも目が止まる。
背後の山肌は抉られていて岩肌が露出している。
円教寺境内には他にも建物を建てる時に地形改変で露出したであろう岩肌を確認することができる。
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