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国土地理院の電子地形図(基盤地図)を使用 |
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『長谷寺境内図』(1638年)の絵図の注記などを現地図上に反映(推定) |
ア 夫婦石
鏡餅状に重なる岩石。
夫婦石は古来からの名称なのかが不明。
イ 與喜天満神社
社殿。手前に写るのは鵝形石。2010年頃から境内の整備が進んでいる。
ウ 三玉石(一の磐座)
三玉石とは、鵝形石・沓形石・掌石の3つの石を指す。
「一の磐座」~「四の磐座」は、藤本浩一氏の分類による。
いずれも與喜天満神社境内にある。
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鵝形石 |
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沓形石(手前左)・掌石(奥側右) |
エ 登山口
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現在はこの看板が目印。この看板を前にして、背中(山側)が登山口。 |
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登山口。倒れている看板は黄色の保安林の標識。かつてはこれが目印だった。 |
オ 素戔雄神社
かつては牛頭天王社と呼ばれた。
カ 堝倉垣内
堝倉垣内とは、式内社・堝倉神社の旧社地とされる地名。与喜山南端のこの地点と推測される。今は何もない。
キ 「二の磐座」(重岩)
与喜山中の磐座では最も登山者の目に触れるものか。
藤本浩一氏は「重岩」と評する。
鎌倉時代『長谷寺密奏記』記載の陽神・陰神の可能性を提示しておく。
陽神(ヒナタノシン) 伊弉諾ノ尊也。東ノ山ノ腰石坐御南
陰神(カケルノシン) 伊弉冉ノ尊也。東ノ山ノ腰ノ石ニ坐御ス北
ク 巨岩群
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「二の磐座」から谷間を挟んで、東隣にある。 |
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広大な岩盤 |
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巨岩群の最上部にある重ね岩。「二の磐座」と類似した形状。 |
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斜面下方には列状につらなる岩石群がある。 |
與喜天満神社宮司の方が「東ののぞき」と話された場所だろうか。
ケ 箱庭
尾根を登りつめたところ。かつては尾根先端から長谷寺を箱庭のごとく一望できたことからこの通称がある。今は樹木に遮られるものの何とか長谷寺が見える。
コ 二股分岐
山頂へ行くか、「北の谷」(ス地点)へ行くかの分岐。
北の谷への分岐は2ヶ所ほどあり、間違えないように注意。
サ 巨岩
山頂尾根の先端に立地。
ドルメン状と形容してよい構造物。もちろん自然・人為は不明。
シ 与喜山頂上
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与喜山頂上(国土地理院地図上は「天神山」だが、天神山は後世の通称) |
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山頂直下斜面 |
山頂には目立つ巨岩は少ないが、山頂直下の斜面には上写真のような岩石が複数箇所に散在している。
式内社・堝倉神社は元来この山頂に鎮座したという。
ス 巨岩群
「北の谷」で最初に出会う巨岩群。尾根上に岩が群れている。
すでにまつられてしかるべき空気感を醸し出しているが、特に祭祀の痕跡は見あたらない。
セ 巨岩群
ス地点と同じ尾根。尾根の上と下の関係で、ほぼ同一地点。
キ・ク地点の重岩と再び類似する、三段構成の構造物がここにもある。
ソ 露岩
ス・ソの尾根から一つ北の小尾根にある露岩。
この露岩の南北は谷間に囲まれており、踏み跡も薄く、最も急峻で危険な斜面の辺りとなる。
タ 「立石」と「三の磐座」
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立石(上から) |
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立石(下から) |
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立石は、台座と立石のセットかのようである。 |
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ブロック感がある鋭角的な輪郭。 |
立石は、「北ののぞき(四の磐座)」と「三の磐座」の上斜面にあり、意味深な立地と外形をなす注目すべき存在である。
祭祀設備は見あたらない。
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「三の磐座」全景。写真中央に一対の狛犬が残る(右は台座のみ現存) |
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「三の磐座」近景。写真中央の組石はさすがに人為的。 |
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左の狛犬と右の狛犬の間はゴツゴツした岩群が広がる。 |
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「三の磐座」最西端にある巨岩の基部。 |
「三の磐座」は、先の立石の直下斜面に位置する。
横に広がりをもち、大きく分けると東の岩群と、西の巨岩の二要素から構成されている。
ちょうどその中央部に一対の狛犬が敷設されており、片側の狛犬はすでに欠損しており、台座のみが残る。
斜面上の立石まで一括して「三の磐座」と総称してもいいかもしれない。
チ 北ののぞき(四の磐座)
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「北ののぞき」遠景(東側上方斜面から) |
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石鳥居に「本伊勢」と刻まれる。 |
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「元伊勢完成由来」。この聖地を整備した杉髙講の経緯が記録された資料。 |
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鳥居・元伊勢完成由来の奥に燈籠・狛犬・巨岩群が控える。 |
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「北ののぞき」の巨岩群の中心部。右の狛犬奥の岩肌に刻字が見える。 |
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刻字接写。「天狗鏡岩處ヲ守ル 靈權之神」とある。 |
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巨岩群は、ブロックの集積の如き構造をしており、岩と岩の間は亀裂や隙間、噛ませ石も見られる。 |
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二段構成の巨岩 |
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「北ののぞき」の南側に広がる広大な岩肌。見る角度によって全く異なる構造物である。 |
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「北ののぞき」の頂上にして「のぞき」部分。下は切り立つ崖。 |
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「北ののぞき」から肉眼で長谷寺を遠望できる。 |
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「北ののぞき」の切り立つ崖を遠方より撮影(北方の別尾根より撮影) |
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「北ののぞき」スケッチ(2010年時点) |
与喜山旧跡群の核心部の一つと言える「北の谷」の「北ののぞき」。
藤本浩一が「四の磐座」と分類したものに相当する。
今はなき地元の元伊勢聖地整備集団・杉髙講によって、数々の祭祀設備が残されている。
それを抜きにしても、ここは人工と自然のどちらとも言えない営為の巨岩構造物であり、そこから見える眺望を称して名付けられた「北ののぞき」の名称は寛永15年(1638年)『長谷寺境内図』に遡ることができる。
与喜山中に聖地を見出すとしたら絶好の場所であると評価できる。
これまで紹介した「立石」「三の磐座」「北ののぞき/四の磐座」は、鎌倉時代『長谷寺密奏記』記載の光神・雨神に相当する可能性を提示しておく。
光神(ヒカルカミ) 月弓尊也。東ノ山ノ北ノ谷ノ石ニ坐シ御ス上
雨神(アメノシン) 同谷ノ石ニ坐シ御ス下
ツ 巨岩群
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下は一つの岩崖がところどころ露出して、無数の岩塔群のようにもなっている。 |
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巨岩群最上部は、このような亀裂を持つ(真上から下に向けて撮影) |
規模も特筆ながら、最上部の亀裂構造も印象に残る。場所は大変分かりにくく、狙って再訪するのは難しい。
『長谷寺境内図』に「此所神石あり」 と注記された位置に最も近い。
テ 湧水点・巨岩群
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湧水点をもつ巨岩 |
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晴天でも岩から水が染み出ていて、それは沢へ流れている。 |
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湧水点から沢へ流れ行くところに、沢の真ん中を塞ぐ巨岩あり。 |
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二つの谷間の合流点の北斜面に縦長くそびえる巨岩 |
ここかちょうど、ス・セ尾根とタ・チ尾根の間に位置し、二つの谷間が沢となる湧水地点でもある。
『長谷寺境内図』には「仙宮のたき(滝)」として描かれた地点に近い。
鎌倉時代『長谷寺縁起文』に「此等神石北谷又有仙宮。凡不動伏魔而立瀧下。」と記された「北谷の仙宮の瀧」と同じものを指すと思われる。
私が訪れた時は(前日も含め)晴天のため湧水量も沢水の流れも微弱なものだったが、急峻な谷間であるため雨天時には相当の川になる可能性は否定しきれない。
また、このような傾斜であるので現在と中近世では地形が変わっている可能性があり、かつては「滝」が存在したのではと思わされる。
ト 小落差
テの湧水点からさらに下流に下り、また別の谷間と合流する所に高さ1mほどの小落差がある。
高さ1mでは滝と言えない小規模なものであるが、先述したとおりこの辺りは「仙宮の滝」の想定地であり、現在唯一確認できる沢の落差として報告しておきたい。
ナ 尾根
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ナ地点に聳え立つ巨木。天然林と植林地帯の境に立つ。 |
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ナ尾根に唯一認められる岩石 |
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尾根を下りきったところにある沢(仙宮の滝の下流)。上斜面からの転石が群集している。 |
ナ尾根は、ケの箱庭から下って予備調査として踏査した地域である。
目立つ岩石は少なく、与喜山暖帯林でありながら植林が迫っている。
ニ 尾根
こちらも予備的に踏査したエリアで、「仙宮の滝」の下流の北方尾根となる。
ナ尾根と同様、岩石が累々とした尾根とは言い難いが、唯一、上写真の船形の岩石が単独で存在し、印象に残る。
ヌ 小落差
岩肌の上を沢水が流れて赤褐色に染まっている。
小滝のような感もあるが、「仙宮の滝」としては『長谷寺境内図』が示す場所とは離れすぎている。
ネ 謎の石垣
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謎の石垣 |
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石垣の上斜面の露岩群 |
人足から最も遠いと思われたこの場所に、突如として謎の石垣が出現する。
製作年代も意図も不明。
高さ1m、幅5mほどしかなく、斜面上にあり土留めとしては実用性をほとんどはたさない。
石垣の上を見てもこれというものは目に入らず、はるか上斜面に露岩群が見えるのみだった。
斜面上方だったためこの露岩群の近くまで行っていないが、石垣の設置には必ず背景があるはずで、これはいまだ未解決課題となっている。
ノ 小落差
ト地点の小落差と似ている。
このように、与喜山の「北の谷」は実際には無数ともいえる谷間と沢が形成されており、「迷いの山」の一つの要因となっている。
一方で、これが神仙修行の地としての景観であることも表しており、『長谷寺縁起文』が言う「山内無非所聖衆修行地。此山則秘密荘厳之土。群仙窟宅之地也」という記述にもつながるのだと現地で体感することができた。
ハ 多羅尾滝
うってかわって与喜山の東側斜面、与喜浦地区から口ノ倉トンネルに通ずる車道沿いに入口があり、多羅尾滝という小滝が現在も不動堂と共にまつられている。
『長谷寺境内図』にも描画されているが、実際の滝よりも誇張されて描かれている。
ということは、仙宮の滝も絵図に描写されるほどの規模でなかった可能性が高くなり、ト地点の小落差でも候補地とみなせる一つの理由になる。
その他の旧跡まとめ
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長谷山口坐神社の背後の丘頂上にある岩石群。一部で「磐境」と呼ばれているが真偽不明。 |
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與喜天満神社御旅所にある切石。『長谷寺験記』で与喜天神(菅原道真)が出現した腰掛石。 |
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伊勢街道の化粧坂。「お歯黒石」があるがどれのことかわからない。 |
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初瀬川(泊瀬川)のほとりにある泊瀬石 |
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與喜天満神社社務所前に新設された男女岩。2010年以降の整備。 |
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與喜天満神社表参道沿いにある山神遥拝所。2010年以降の整備。 |
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山神遥拝所から沢を挟んで奥に鎮座する八王子社。岩石上の祠。 |
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與喜天満神社境内。2010年以降の整備。 | | |
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與喜天満神社の社殿前に新設された男女(夫婦)岩。社務所前のものと名前が同じ。 |
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男女(夫婦)岩。沓形石・掌石の手前にある。2010年以降の整備。 |
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与喜寺の跡地 |
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与喜山西山裾に立つ石柱。「天然記念物与喜山暖帯林」と刻まれる(昭和35年銘) |
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見廻不動尊 全景。森におおわれている部分は岩盤である。 |
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見廻不動尊の基部 |
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与喜山北登山道入口に置かれた岩石と石祠。由来不明。 |
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「天落神六社権現由緒記」。初瀬の郷土史家・厳樫俊夫氏の名文。 |
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天落神六社権現境内。初瀬ダムで水没した初瀬川中の屏風岩の宝篋印塔刻字を再現したもの。 |
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天落神六社権現境内。由来不明。 |
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與喜天満神社表参道の天神橋から撮影した長谷寺(写真中央)。長谷寺本尊は「金剛宝磐石」の上に立つ。長谷寺境内にも複数の聖なる岩石の存在が記録されているが、所在の分からないものも多い。 |
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長谷寺本堂の外舞台から望む与喜山。朝勤行の後、初瀬の現地主神である与喜山・與喜天満神社に向かって「南無天満大自在天神」と唱える「与喜山礼」がこの外舞台で毎朝おこなわれる。 |
本ページ収録の旧跡群についての詳しい論考はこちら
『宗教民俗研究』第26号(2017年)に発表した与喜山の歴史をテーマに取り上げた論文。2002年~2017年の調査の結果の集大成。
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