静岡県三島市大宮町
『続日本後紀』(869年完成)にその名があり、伊豆国一宮として知られる三嶋大社。
境内に「名石」として「源頼朝・北条政子腰掛石」「たたり石」「牛石」の3つが残されている。
源頼朝・北条政子腰掛石
治承4年(1180年)、源頼朝・北条政子が平家追討を祈念して三嶋大社に百日参りを行った時、休息のために腰かけていたという岩石。
左が頼朝、右が政子の腰掛石とされている。
たたり石
三島七石の1つ。
元来は旧東海道のど真ん中にあったといわれ、この岩石で道の中央を塞ぐことで、道行く人の往来を交通整理する役目を果たしたと推測されている。糸のもつれを防ぐ道具である「たたり」が語源といわれる。
その後、道の中央にあるのが邪魔ということで岩石を動かそうとしたところ、災いが起こるようになったといい、中には死んだ人もいるという。この場合の「たたり」は「祟り」から由来する伝承と思われる。それでも大正3年(1914年)には、道路工事により現在の神社境内に移転されるに至った。
現在では交通安全の霊験があると考えられ、祟りの岩石から恩恵の岩石へ性格が転化した。
牛石
先に紹介した三島七石は、一般的に鬼石・蛙石・市子石・たたり石・笠置石・蛇石・耳石の7つを指すとされているが、三嶋大社『三嶋大社<略史>』改訂版(三嶋大社、2001年)によれば、境内にある牛石も三島七石の1つに数えられるという。
これのみ境内看板がないので、神職の方に案内していただいたところ、参道脇の植樹の囲い石に半ば同化していて、地中から僅かに頂面が顔を出しているだけの岩石だった。
地中は掘っていないのでどれぐらいの深さかもわからないという。
『広報みしま』平成28年9月1日号によると、次の由来が記されている。
頼朝が大社へ参詣したある日、背後に怪物が現れたため切りつけたところ、あとには刀傷を負った牛のような形の石が残っていた、という伝承があります。
これが牛石。えっどれか分からないって? |
植樹の囲い石とは少し様子の異なる、こちら。 |
参考文献
三嶋大社『三嶋大社<略史>』改訂版(三嶋大社、2001年)
三島市観光協会「三島七石」(「三島市観光協会」サイト内)→2011年8月7日アクセス
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