三重県伊賀市鍛冶屋猪ノ坂3891
場所は、青蓮寺用水の東にこんもりと繁る標高222.9mの丘陵上にある。
麓からは比高差30mほどである。
丘の頂上から南へ斜面が傾斜しだす位置に、1体の巨石を中心にして、その周辺に小ぶりの岩石群が不規則ながらやや弧状に散在している。
中心となる巨石は、元は同じ岩塊だったと思われるものが2つに割れていて、それとは別で、まるで巨石を立てたかのように別の岩塊が当てられている。人為性の有無は、これでも何とも言えない。
また、中心の巨石の岩肌には、岩脈のような帯状の線がうっすらと見えている。
さて、巨石の北に接して、まつり場が残っている。
巨石の北は頂上側なので、巨石を斜面の下からまつるのではなく、斜面の上からまつるのが興味深い。
巨石に接する三本の幹は枯死しているが、根はそのまま残されている。
写真では祭祀場は荒れているように見えるが、現役の祭祀場である。
その証拠に巨石群の南端には、当地で色濃い山の神信仰の祭祀具「カギヒキ(鍵引き)」が残されている。
この巨石は「山の神」と呼ばれ、古墳時代の祭祀遺跡ではないかとされている。
この遺跡の存在は、kokoroさんのブログ「神社の世紀」の記事「山神遺跡の磐座」で知った。
kokoroさんは『三重県上野市遺跡地図』(1992年)でその存在を知ったというが、同地図が近くに蔵書されていないので、代わりに『三重県遺跡地図』(三重県教育委員会、1970年)を開けたところ、ほぼ同じ記述に出会った。
三重県遺跡地図のほうが出版年が古く、こちらが出典元となりそうだ。1970年当時にはすでに遺跡として指定されていたことがわかる。
下に記述を引用しよう。
- 遺跡名 山神遺跡
- 所在地 鍛冶屋猪ノ坂3891
- 県遺跡番号 4070
- 市町村遺跡番号 244
- 種別 遺物包含地
- 時代 古墳時代
- 規模・現状・遺構 巨石の山の神の前面から、皿形土器が出る
- 出土遺物 土師器片
山神遺跡のよみがなは記載されていないが、遺跡名にとらわれず本来の岩石の名称としては「山の神」で良いだろう。
巨石の前面から土器が出たとある。
前面は、現在の祭祀方向の北側なのか、それとも斜面下方向なのかはわからない。
古墳時代の遺物ということであるが、皿形土器が出て出土遺物として土師器片とあるので、皿形土器=土師器片の可能性が高い。
状況からみて、発掘による出土ではなく、表面採集による発見と思われる。
図面、出土点数、現在の保管者など詳細情報は未記載。
つまり、この皿形の土師器片がどのような破片かわからず、批判的に見るならばこの土師器片が古墳時代と推定した根拠には欠けると言わざるを得ない。
土師器とは素焼き土器であり、中近世に下る製作物もあるので、編年的特徴が明確でない限りは、この年代特定をやすやすと信じられないものがある。
"古墳時代の磐座祭祀遺跡"……。
巨石祭祀がすべて磐座ということはないし、土器の破片1点をもって祭祀用の土器とまで言いきるのも危ない。表面採集の土器であれば、土器の製作年代=岩石の祭祀年代とも限らない。
このように、自分の価値観に都合のいい情報がそろっているときほど、批判的に見る部分はないか逡巡したい。
一応付記すると、『三重県埋蔵文化財センター年報』7(三重県埋蔵文化財センター、1996年)p.56に、山神遺跡の追加情報と思しきものが僅かながらある。
農業集落排水事業の一環で「上野市菖蒲池 山神遺跡」の工事立会があり、結果は「遺構・遺物なし」とのことである。
上野市菖蒲池は現・伊賀市菖蒲池で山神遺跡のすぐ西の字である。
厳密には山神遺跡は菖蒲池ではなく字鍛冶屋の端に立地するのだが、遺跡番号が244と書いてあり三重県遺跡地図のそれと一緒なので、同じ遺跡のことを指すと思われる。
山の神の巨石は丘頂上にあり今も開発されていない山林中にあるので、巨石に接して工事立会をしたとは限らず、遺跡包含地として指定されているエリア内のどこかで工事して遺構・遺物が検出されなかったのかもしれない。
それでも、追加調査ともいえる1996年の工事立会で、地中から特に遺構は見つからなかったという事実を踏まえるなら、本遺跡を群馬県西大室丸山遺跡や静岡県渭伊神社境内遺跡のような、発掘調査で古墳時代の遺物・遺構が地中から出土した遺跡群と同列に並べることはまだ避けたほうが良いだろう。
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