京都府京都市左京区松ヶ崎町
林山(標高171m)の西麓に岩上神社が鎮座する。
社殿はなく、平板状の岩石をまつる。
林山の山裾に位置するという点でも、山と里の境界でまつり場を設けるというありかたは古代の山岳祭祀に適う。
京都市北部の岩石信仰の事例として、岩倉の山住神社や上賀茂神社の岩上と並んで著名ではないかと思われ、特に上賀茂神社の岩上とは名称も形態も類似している。
しかし一方で、この岩石はもともと兵庫の海中で光を放っていたといい、それを現在地に持ってきて岩上大明神としてまつったという逸話もある。
このいわれに基づけば、岩石は発光する霊石であり、岩石自体を岩神と見立てたようにも思われる。
石神と磐座の両面を有する岩石と言える。
石質はチャートであり、当山で露出していた岩盤をまつったものと思われるが、かつて海底のプランクトンが堆積して石化したものであることを踏まえると、海から由来する岩石として神聖視された伝承も興味深い。
「末刀」は「まと」もしくは「みと」と読み、本来的には「末」ではなく「未」の表記が正しかっただろうとされている。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳によると、「愛宕郡 末刀神社」なる式内社があり、後世、末刀神社がどこだったかわからなくなった。
「末刀(まと)」が松ヶ崎の「松」に通じるということから、岩上神社が末刀神社ではないか、ということで現在の神号がある。
しかし、どうやら現在の学説では、延喜式記載の末刀神社は別の所であろうと考えられており、岩上神社説は否定的である。
ただ、延喜式編纂当時、ここは単に岩石のみをまつる場だったとしたら、神社として認識されなかったのも当然で、だから記載されなかったとみれなくはない。
比較的精美な山容を有する林山の、山裾に近いところにまつり場を設けている立地環境は注意しておきたい。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳によると、「愛宕郡 末刀神社」なる式内社があり、後世、末刀神社がどこだったかわからなくなった。
「末刀(まと)」が松ヶ崎の「松」に通じるということから、岩上神社が末刀神社ではないか、ということで現在の神号がある。
しかし、どうやら現在の学説では、延喜式記載の末刀神社は別の所であろうと考えられており、岩上神社説は否定的である。
ただ、延喜式編纂当時、ここは単に岩石のみをまつる場だったとしたら、神社として認識されなかったのも当然で、だから記載されなかったとみれなくはない。
比較的精美な山容を有する林山の、山裾に近いところにまつり場を設けている立地環境は注意しておきたい。
林山(2001年撮影) |
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