京都府京都市上京区 堀川通 上御霊前通 上
水火天満宮は、平安京へ降りかかる水の難・火の難を退けるため、延長元年(923年)に菅原天神をまつったのが始まりとされる。
この天満宮の創建と非常に関わりの深い石として、境内に登天石(とうてんいし)という石があり、大略次のような物語を伝えている。
菅原道真が亡くなった後、都には相次ぐ天変地異や要人の変死など、様々な異変が起こったのはよく知られた逸話である。
当時の醍醐天皇もすっかり恐れてしまい、道真が師と仰いでいた法性坊尊意僧正に祈祷を依頼した。
尊意は宮中に参内すべく外へ出たが、外は激しい雷雨で、そのなかで鴨川までやってきた時、鴨川が氾濫して町に流れ出した。
尊意は数珠(一説には神剣)をかざして祈り始めると、川の水位が下がり始めた。
やがて水が引いていった中から1つの石が現れ、その石の上に菅原天神が立っていた。
雷雨はたちまち止み、水も完全に引いた後、道真は雲の上に登っていった。
その後、尊意はこの石を自邸へ持ち帰り供養をしたのち、現在の水火天満宮に安置したのだという。これが登天石の由来である。
登天石 |
石の上に神霊が現れるという、磐座的な役割を担う事例として理解できるが、それに加えて特筆すべきは、石の上で神霊が天上へ戻っていくという話も伝えているところにある。
すなわち、登天石は神霊を人間界に呼び寄せる召喚機能だけではなく、再び神霊のいた世界に戻すという送還機能まで明確に備えている。
この点、神を降ろすという視点のみに偏りがちな巷の磐座とは違って特徴的である。石の名前も登天石という、神が帰っていくところに重点を置いた名称にもなっている。
さらに、川水で運ばれてきた石であり、かつ、尊意が自邸や天満宮にと持ち運びをしているという点で、大地に根差した岩盤的な磐座とは一線を画し、動産的・遺物的な性格を帯びた岩石祭祀の装置とも言えるだろう。
ちなみに当社境内には、登天石の隣に「出世石」と名付けられた石も置かれている。
神職さんにうかがうと、詳しくはわからないがけっこうな要職に就いた方が後年神社へ寄進した石だそうで、出世した人が寄進した石だから出世石だという。立身出世や就職の霊石となっているが、個人が岩石を奉納するという心の動きも岩石信仰においては何気に重要である。
出世石 |
最後に、境内社の六玉稲荷には玉子石という菅原道真所縁の丸石があり、子宝安産に霊験があると信じられるが、探訪時見落としてしまった。
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