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2020年2月2日日曜日
土山の金刀比羅神社(岐阜県各務原市)
岐阜県各務原市那加西市場町
現在、琴が丘団地と呼ばれる住宅団地の高台は、かつて土山と呼ばれる山だった。
ここには「土山の七名石」と呼ばれる七つの特別視された石があったが、団地造成時に破壊されたものもあるという。
しかし、この七つの石の所在については文献記録がほとんど見当たらず、唯一、土山の最西端に子安石が存在することをかつてこのブログで報告した。
子安岩(岐阜県各務原市)
そんな土山の、今度は最東端にひっそりと佇むのが金刀比羅神社である。
こちらも団地造成からは逃れて、在りし日の土山のよすがを残す「巨岩累々」とした地である。これは最西端の子安石と同じ様相であり、土山が七つの石を擁するほどに、土というより石の山であったことを物語っている。
麓の参道入口から岩盤がむき出しで、これが頂上まで続くのだからまさに岩山である。
金刀比羅神社の由緒などを記した文献をいまだ見つけられていないのでわからないことが多いが、上の写真のとおり、社祠は最低限の設えである。
社としての土台が岩山そのものにあることは明白であり、そこに金刀比羅神を勧請したのも山神信仰、その凝縮としての岩石信仰の観点からうなずける。
探訪時は西日が差し込み祠を写そうとすると逆光だったが、朝に訪れれば陽光が岩山を照らす象徴的な立地だ。
頂上の祠から周囲を眺めると、西方には琴が丘団地がすぐそこまで迫っている。
社域の自然の木石の群れと一線を画すその光景に考えさせられるもの多々である。
なお、琴が丘団地側に回り込んで、団地側から金刀比羅神社方面を眺めると下写真のようになる。
私有地内には入れないので外の道路から撮影しているが、駐車場のすぐ奥にさっそく岩盤の一部が隆起しているのが見て取れる。
これほどの規模の巨岩をほこるため、土山の七名石のいずれか一つが金刀比羅神社の岩山に属すのではないかとも思うが、それを照合する記録にまだ出会えていない。
ちなみに、金刀比羅神社のすぐ北には柄山古墳という古墳時代前期の前方後円墳が残っている。
この古墳を築成した時、人々は金刀比羅以前のこの岩山を見てきたはずである。
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