京都府京都市北区衣笠衣笠山町
京都市北西部、立命館大学衣笠キャンパスの北にそびえる衣笠山。北には大文字山が位置し、北山と呼ばれる山々の一峰をなす。
衣笠山は標高201mで、麓からは100mほどだが、衣笠山の名は笠形ともお椀を伏せたような形や、第59代宇多天皇(在位887年~897年)が夏に衣笠山に白絹をかけて、雪山に擬したその風景を楽しんだという伝説などから由来するといわれる。
仁和寺あたりから撮影した衣笠山 |
衣笠山の周辺は、花山天皇~二条天皇までの平安時代の歴代天皇の葬送地となった。
衣笠山の手前には二条天皇陵、大文字山寄りには三条天皇陵、衣笠山の西奥方には堀川天皇陵・一条天皇陵・宇多天皇陵などがある。
衣笠山そのものには天皇陵が設けられていないものの、山自体が風葬などの葬送地として位置づけられている。
その衣笠山の山頂では平安時代の土器片が採集されており、衣笠山遺跡として知られている。
山頂からの景色は良く、京都市街から双ヶ丘・嵐山・松尾山なども一望できる。
山頂では、地山から岩盤が露出している。
そんなに目立つ規模ではなく、土壌に混ざって断続的に露岩が見られる程度である。
ただし一ヵ所だけ、比較的大小の岩が隆起しているところがある。
衣笠山頂上の露岩 |
真上から撮影 |
全景 |
一番高い岩で高さ50cmほどだろうか。かなり脆い石質なのか、小さな石礫が一帯に地表から浮いて散らばっている。このような状態なので、平安時代当時と現状の露岩状態でどれほど光景が異なっていたかは何とも言えない。
また、この露岩から少しだけ西に下った斜面に、岩盤が大きく崖状に広がっている箇所も見られた。
山頂直下西斜面の岩盤 |
平安時代の土器祭祀と岩石信仰をつなげることができるとしたら、この露岩や岩崖の辺りになるだろうか。
遺骸を葬り、魂を山上他界の祖霊へ昇華するための装置として、岩石はどのような役割を担ったのだろう。
なお、衣笠山の西山腹から山麓にかけては、数基からなる衣笠山古墳群(古墳時代後期の群集墳)が確認されている。
古墳時代においても葬送地としての性格は遡れるようである。
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