京都府京都市山科区四ノ宮中在地町
琵琶石
人康(さねやす)親王が琵琶を弾きながら座っていたといわれる、幅1m強の石。
人康親王は、仁明天皇(在位:833~850年)の第4皇子。若くして失明し、その後は山科で出家生活を送った。親王は文芸に秀でていたことから、同じ境遇におかれた盲人たちへ琵琶や詩歌を教えたという。
人康親王は人間であるものの、死後は崇敬の対象に高まり、琵琶法師の祖神に位置付けられるにいたった。
神格化した人康親王が、琵琶を弾いていた時に座っていたという神跡である。
かつては琵琶石の傍らに泉が湧き、石上には小石が積まれる習俗も見られたという。
これは盲人の法師らが、川原で拾った石を積んで塔として供養したものであると考えられている。
岩坐(いわくら)
琵琶石のすぐ右隣にある、高さ1.5m程の立板状の石。
琵琶石の知名度に反比例して、岩坐はどのようないわれがある岩石なのか情報不足である。
諸羽神社は貞観4年(862年)の創建で、天児屋根命、天太玉命の二柱をまつるという。山科の四の宮に位置付けられ、地名の由来ともなっている。
諸羽神社は山麓に鎮座しているので、里と山の境という点で磐座の立地としては相応しいが、この石の歴史としては、以下のような可能性が挙げられるだろうか。
- 諸羽神社の創建以前にさかのぼる磐座祭祀の場。
- 諸羽神社の創建以前からの磐座祭祀の場だが、神社創建に際して岩石を今の位置(境内奥隅)に動かした。
- 諸羽神社の主祭神とは別系統の神を境内にてまつった磐座。
- 元々、別の所で磐座として用いられていた岩石を、近隣を束ねる宮だったこの諸羽神社に遷した。
- 元々は別の機能・性格・用途の岩石を、後世に「岩坐」とみなしたもの。
- 諸羽神社創建後、神社の神聖性や歴史性を彩る目的で神聖な岩石を置こうという目的で、その種の岩石の名称として最も名が通っている「岩坐」を当てた。実際は社殿に祭神が宿っているので、岩坐とはいうものの磐座としての機能はないもの。
磐座の性質上、定期的に神を迎えるための祭礼がおこなわれる。そのような祭祀が残っているかも、上記の可能性の絞り込みには必要となってくるだろう。
参考文献
- 藤本浩一『磐座紀行』向陽書房 1982年
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。