京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町
京都市山科区の最北端である日ノ岡地区に日向(ひむかい)大神宮が鎮座する。左京区にある南禅寺のすぐ南に位置すると言ったほうが外の人間にはわかりやすいかもしれない。
社伝では顕宗天皇の治世期に、日向高千穂峯の神蹟を当地に遷したのが起源で、天智天皇はこの山を「日御山(または日ノ山)」と呼び、清和天皇の治世期に当社が勧請されたという。
天孫降臨神話にまつわる当社は主祭神を天照大御神に仰ぎ、いつの頃からか伊勢神宮に倣い、内宮と外宮から神域が整えられた。
京にいながら伊勢神宮の代参所として一円の人々に重用されたことから、「京のお伊勢さん」の異名も誇っている。
日向大神宮の内宮 |
天智天皇が日御山(日ノ山)と呼んだ当山は、現在、神明山と呼ばれている。
この神明山の尾根続きの東奥には大日山がそびえ、こちらは別称・東岩倉山といい、桓武天皇が京の四方に経典を埋納したという「四岩倉」のひとつ「東岩倉」があった場所や、行基が東岩倉寺を開基したなどの伝承地である。
祭石 影向石
内宮の拝殿の左横に、高さ1m程度の立石に注連縄が巻かれているのが目にとまる。
「祭石 影向石」と標示され、影向は仏教用語ながら、神聖な存在を顕現させた岩石の旧跡であろうことが窺われる。
私感を述べるなら、内宮の玉垣に接する形で端に寄せられている様子が見受けられ、「内宮>影向石」の上下関係を匂わせる。
すなわち、影向石は当社の祭祀において中心的な場、ないしは歴史的な根源地というより、内宮の付随的な存在または歴史的に後世的な施設なのではないかと感じさせる。
天の岩戸
内宮拝殿から左に、南禅寺のほうへ抜ける山道が続いている。
その道を少し歩くと「天の岩戸」と名付けられた岩穴に出会う。
岩穴といっても自然のものではないようで、掘り方が同じ高さ、同じ幅で続いており整っている。人工的に岩盤に穴を穿っていることがわかる。
内部には戸隠神社の祠がまつられている。
トンネルのように山の岩肌を貫通しており、この岩戸をくぐれば開運厄除の霊験があるとされている。
いつの頃に掘られた洞穴なのかは情報収集不足だが、岩戸くぐりの霊験は多分に仏教霊場における胎内くぐりの要素が見られ、影向石と同じく近世の神仏習合の文化を色濃く残していると言える。
天の岩戸に擬せられたのも、「京のお伊勢さん」としての聖跡が希求されたことに端を発した可能性があるだろう。
参考文献
- 竹村敏則『南山城』(昭和京都名所図会7)駸々堂出版 1989
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