岐阜県岐阜市上加納山 瑞龍寺山(寺山)
岐阜金華山の南に位置する瑞龍寺山は、麓の瑞龍寺の存在から寺山ともいわれ、山中には上加納山古墳群が分布し、南斜面からは享保年間に見つかったと伝わる上加納銅鐸、そして、今回紹介する瑞龍寺山山頂遺跡と、さまざまな歴史的文化財が残る。
瑞龍寺山遺跡は、名のとおり山頂部に位置して、現地には荒々しく露出した岩盤が広がり、その傍らにここが遺跡であることを示す看板が立つ。平成25年に岐阜市指定史跡となったことによる比較的新しいものである。
すなわち最新研究の遺跡説明と言って良く、詳細は下画像をご覧いただきたい。
瑞龍寺山山頂遺跡 |
山頂側から |
岩盤はチャート質とみなされている。 |
本遺跡は岐阜城の建つ金華山を望める位置。 |
遺跡看板 |
弥生時代後期の墓という評価だが、珍しいのは、その墓が土地の岩盤を削って、長方形状にくりぬき、そこに遺存していないが棺を置いたと推測されていることである。
かつては、墓ではなく山頂の岩盤に対する祭祀遺跡ではないかと見る向きも有力だった。たとえば、小野慎一氏『祭祀遺跡』では、本遺跡の巨岩を写真入りで紹介し、弥生時代末~古墳時代初の石神や磐座の文脈の中で触れている。
その後、先の看板にもあるように昭和52年の調査の結果、岩盤には凹みがあり、これを人為的に掘り下げた穴と評価した。
その結果、本遺跡から発見された内行花文鏡の破砕、弥生時代後期の山中式に位置付けられる壺、高坏または器台の破片、碧玉製管玉、ガラス製小玉などは、神祭りの祭祀跡ではなく被葬者への副葬品や葬送儀礼に伴う遺物とみなされている。
けっして人骨や棺桶が見つかっているわけではないし、岩盤の凹部を人為的な掘削と断定できる遺存状態かには疑問も残るが、中国鏡を破砕・埋納する弥生時代の墓が認められることから、それと同種の遺跡と推定したものだろう。
また、本遺跡が墓所だった場合でも、山頂の岩盤を掘り窪めて死者を葬る行為は興味深い。
岩石を削る行為は、岩石信仰と無縁だったり、岩石信仰を否定する行為と言い切れるわけではない。
岩石を削り取る信仰もありうるし、岩石の中に死者を眠らせる行為は、単に物質的な石室の系統だけで語られるべきものでもない。さらに、棺桶を設置する場所として岩盤が特別視された理由や背景には、それ以前の歴史の存在も可能性として指摘される。瑞龍寺山南斜面出土伝承のある銅鐸などがその時系列上で改めて捉えなおされるのも一つである。
参考文献
- 小野真一 『祭祀遺跡』(考古学ライブラリー10) ニューサイエンス社 1982年
- 小野真一 『祭祀遺跡地名総覧』(考古学ライブラリー11) ニューサイエンス社 1982年
- 国立歴史民俗博物館・編 『共同研究「古代の祭祀と信仰」附篇 祭祀関係遺物出土地名表』(国立歴史民俗博物館研究報告 第7集) 第一法規出版 1985年
- 岐阜市教育委員会『岐阜市埋蔵文化財発掘調査報告書』(岐阜市文化財報告85)1985年
- 現地看板
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