三重県松阪市飯福田町 国峯山飯福田寺
真言宗飯福田(いぶた)寺が擁する修験霊場を「伊勢山上(いせさんじょう)」と呼ぶ。
現在も修行者が訪れる岩山で、三重県立公園および県指定名勝でもある奇観である。
伊勢山上 |
伝説であるが、役行者が開山したとき、急峻な伊勢山上に難儀して休息をとった。
そこにリスが現れてマタタビの実を食べて元気に動くさまを見て、役行者もタマタビを食べて回復したという話が『松阪市史』第十巻にある。
いつの頃か、吉野山上の登山が一時絶えた時があって、他の行場を求めた行者たちが伊勢山上に集い、吉野山に準えて今の行場の形を整えたとされている。
嘉永4年(1851年)完成の地誌『勢国見聞集』においても、長らく行場が荒廃していたのを、久米村の船木平兵衛広光という人が再興したという。
その時、行場の岩々の旧名を人から教えられ、「鏡岩」「明星石」「獅子ノ鼻岩」「権現岩」「不動岩」「轟岩」「屏風岩」の名が収録されている。
中世には伊勢国司・北畠氏の祈願所として、氏の関係者が住職を務めたというからこの頃は栄えていたはずであるが、安土桃山期に寺の伽藍を打ち毀して城の用材に持ち出され衰退したという。
上記の話を綜合すると、当行場の歴史は役行者の時代こそ伝説的であるものの、中近世においても途絶した時期があったらしい。
伊勢山上には、表行場と裏行場がある。
私は表行場だけを訪れたので本記事では一部の岩石の紹介となり申し訳ないが、裏行場については名称のみ掲げておく。
現地の伊勢山上表行場絵図(一部、裏行場あり) |
表行場
■油こぼし
表行場最初の鎖場である。
油こぼし |
■屏風岩
『勢国見聞集』記載
油こぼしを越えた先にある岩。このあたりの岩肌を指すか。 |
伊勢山上の正順路は厳しい登攀が必要となるが迂回路も用意されている。 |
■岩屋本堂
伊勢山上の象徴的存在であり、かつ、飯福田寺の奥の院的存在。
順路の先で、岩屋本堂を遠望できる場所がある。
■東の覗き
修験行場に多い「○○の のぞき」の一つ。岩屋本堂が建つ岩崖上の地点を指す。
岩屋本堂から麓を見下ろす。 |
■御笠岩
現地で標示を見つけられなかったが、名称と所在地から推測して、岩屋本堂を覆う笠部分の岩を指すか。
岩屋本堂の窟を構成する笠部分 |
■鏡掛
現地の標示には「鐘掛」とある。
市史記述の「鏡掛」は誤字か、それとも、『勢国見聞集』記載の「鏡岩」と関係あるか否か。
「鐘掛」の標示 |
■抱付岩
名称から推測して、岩に抱き付きながら登攀する岩肌を指したものか。
抱付岩の標示が奥に見える。 |
■御光岩
岩屋本堂から続く岩崖を登りきったところにある。
現地に表示を見つけられなかったが、岩崖上には瘤状の岩盤に石像が複数まつられている。
陽光が差し込めば照り輝く岩肌とも言える。
岩屋本堂の岩崖上 |
■蛇腹岩
表行場の一岩石として名が挙がるが、現地地図および現地看板に案内なく特定できず。
■足摺岩
亀岩の手前にある様子だが不明。
■亀石
表行場の折り返し地点あたり。
尾根上に、風化が進むゴツゴツした岩肌を見せる。
亀石 |
■鞍掛岩
「クラカケ」のネーミングは、崖が崩落状になっている場所に多いように思う。
当地は馬の鞍部と形容することもできなくない。
鞍掛岩 |
■蟻ノ戸渡り
特定できなかったが、名称からして、幅の狭い痩せた尾根の行場を指すか。
■押別岩
特定できず。押別の名を持つ神名も想起させる。
■不動棚(不動棚廻り)
『松阪市史』第六巻に写真が掲載されており、広大な岩崖に凹部が形成されている様子である。
■地蔵岩
特定できず。
■小尻返し
鞍掛岩からは徒歩5分の距離。その間に上記の蟻ノ戸渡り、押別岩、不動棚、地蔵岩があったという話で、それぞれが密接していることになる。
小尻返し |
小尻返しの辺りから、登ってきた方角を見下ろすと、山腹に岩屋本堂の岩塊を眼中に収めることができる。
伊勢山上の全貌をつかむのに好立地である。
小尻返しから岩屋本堂を望む。 |
■千手が岩屋
特定できず。窟状の空間を持つ岩と思われる。
該当地点には鎖場があった。
次の飛石の手前にある鎖場 |
■飛石
小尻返しからも、隆起した岩盤を確認できる。
小尻返しから望む飛石 |
飛石 |
■平等岩
特定できず。平等石の名称は全国各地の行場や霊山にあり、元来は「行導・行道」に由来すると考えられている。
該当地点近くで見た岩塊と裾に安置された石仏。 |
■元居原行者(元居ヶ原)
ここを抜けると目立った岩場はなくなり、麓に降りて表行場巡りが終了する。
元居原行者(元居ヶ原) |
表行場入口。伊勢山上は許可制登拝であり、必ず飯福田寺に入山許可を得ることに注意されたい。 |
裏行場
名称のみ記す。
- 油こぼし(表行場にも同名のものがあるが別物)
- 達磨岩
- 獅子ヶ鼻 『勢国見聞集』収録の「獅子ノ鼻岩」か。
- 西の覗き
- 雌獅子岩
- 胎内くぐり
- 乳岩
- 御船岩
- 明星岩 『勢国見聞集』記載
- 大黒天窟
- 腰掛岩附
『勢国見聞集』に岩の旧名として記されながら、現在、表行場にも裏行場にも案内が見当たらないのは「鏡岩」「明星石」「権現岩」「不動岩」「轟岩」の5つとなる。
江戸末期から現代においても、歴史が途絶あるいは変容しているようである。
伊勢山上の奇岩が形成された理由
伊勢山上は歴史的名称であり、山自体の名前は寺名から飯福田山(標高390m。麓からの比高差約200m)と呼ぶ。
『松阪市史』第1巻では伊勢山上の自然についてまとめられており、飯福田山の山塊が地質的に第三紀層の砂礫岩から構成されていることに触れている。
行場を形成するさまざまな奇岩であるが、その特徴として、窟のような窪みをもつ岩肌面が多いことが指摘されている。
これは、もともと岩肌の凸凹面があったのが、日光の直射部と日光が当たりにくい陰部で化学変化の差が起こり、長年の経過および風化のなかで岩腹部の礫が特に脱落したことでこのような窟状の窪みが目立つようになったのだろうと論じている。
地質情報整備活用機構が作成した「日本の奇岩百景」のサイトでは、伊勢山上の奇岩形成要因として「タフォニ」を挙げている。
タフォニは、砂岩や凝灰岩などの脆い岩崖に発生しやすく、岩石に含まれた水分が蒸発する際に塩分が結晶化して、それが岩肌を破壊してオーバーハングした岩石を形成する現象を指す。
表行場出口付近から岩屋本堂の全景を拝める。タフォニか。 |
詳しくは下の別ページも参考にしていただきたい。
(私が「奇岩百景」として写真と一部の文章を寄稿したページである)
奇岩 伊勢山上(いせさんじょう)
参考文献
『松阪市史』(松阪市史編さん委員会)- 第一巻 史料篇 自然 1977年
- 第六巻 史料篇 文化財 1979年
- 第八巻 史料篇 地誌(1) 勢国見聞集 1979年
- 第十巻 史料篇 民俗 1981年
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