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2020年7月15日水曜日

妙法山瑞巌寺~岩内の石観音~(三重県松阪市)


三重県松阪市岩内町

岩内の地名と、瑞巌寺=瑞岩寺という連想に惹かれて、下調べなしに訪れた場所。

三重県指定名勝の瑞巌寺庭園を代表格に、本尊を「石観音」と呼び、境内に名前の付いた奇岩や石造物を複数有する寺院だった。

後日、『松阪市史』(松阪市史編さん委員会)に当たって、瑞巌寺に関する記録を複数巻に見つけることができたので、このページでまとめておきたい。

※『松阪市史』における瑞巌寺の参考箇所

  • 第一巻 史料篇 自然 1977年
  • 第二巻 資料篇 考古 1978年
  • 第六巻 史料篇 文化財 1979年
  • 第八巻 史料篇 地誌(1) 勢国見聞集 1979年
  • 第十巻 史料篇 民俗 1981年


石観音について


瑞巌寺の本尊は十一面観世音菩薩とされるが、本堂内に本尊はまつられていない。
本堂の裏、川を挟んだ対岸に岩肌が露出しており、これを通称「石観音」と称している。
現在も、本堂の欄干越しにその姿を拝むことができる。

本堂の裏の岩崖「石観音」

欄干越しに自由に拝観できる。

弘法大師作と伝わる十一面観音。仏の顔だけが浮かび上がっているという。

本堂背面の丸窓。この窓越しにかつては本尊を拝したのだろう。


本堂の背面には丸い窓が取り付けられており、その窓を開けると、本堂越しに、本堂裏の岩崖を拝む形になる。
この岩崖こそが、伝・弘法大師作の、顔だけが浮かぶ十一面観音とのことである。
実際に彫りこみがあるのか、自然の造形を仏をみなしたものかは判読しがたい状況である。

『松阪市史』によれば、この石観音は元来は全身だったようだが、山崩れで仏の顔だけが残ったのが現在の姿だという。

また、嘉永4年(1851年)完成の地誌『勢国見聞集』によると、石観音の傍らには「阿字石」と呼ばれるものがあったと記録されている。
石名のとおり、阿の字を彫った石で敬われたらしいが、数百年後に震動して阿字石は崩れ落ち、『勢国見聞集』刊行時にはすでに消失していたという。

庭内七奇石


瑞巌寺境内や庭園内には、名前が付けられた石造物や名石が存在しており、『松阪市史』では以下七石を「庭内七奇石」として総称している。

  • 小町石
  • 鯛石
  • 額石
  • 足石
  • 牛石
  • 鷺石
  • 鐘石


小町石

小町石については伝説が残っている。
『勢国見聞集』によると、

「回廊の下、石垣の内の青き石に、白き小野小町の立姿に似たるが附けたる如くなり。故に其の往時、小町石と彫付置かれたり。」

小野小町の立姿に似るという価値観が現代ではつかみにくいが、上写真のとおり、「小町石」の刻字は江戸末期まで遡りうることがわかる。

瑞巌寺庭園入口。石門である。

籠目石。七奇石の名称とは一致せず別系統の存在か。

鉦(かね)石。七奇石のうちの「鐘石」か。

足の裏石。七奇石の「足石」か。

釣鐘石。これも「鐘石」と名称が類似する。

鯛石・額石・牛石・鷺石の所在については調査不足である。

『日本伝説名彙』(日本放送協会 1950年)によれば、これらの七石は瑞巌寺を再興した法誉門超和尚の置いたものだという。いわゆる庭園の名石か。
法誉門超が瑞巌寺庭園を整備したのはおよそ18世紀末~19世紀初頭の頃と推測されている。

瑞巌寺の歴史的環境


瑞巌寺は弘法大師伝説を付帯して、弘法大師開基の寺伝も残すが、そのことを補強する旧記は残っていない。
江戸時代中期に中興の祖(法誉門超)が現れたという沿革もあり、おそらくはその頃に現在の信仰の形ができあがったものと思われる。

ただ、寺自体の歴史を離れて、周辺環境に目を移すと、瑞巌寺を取り囲むように古墳群が今も見られる。
尾根筋を中心に、約16基の横穴式石室とみられる群集墳が確認されており、瑞巌寺古墳群と呼ばれている。

また、瑞巌寺から北に徒歩30分の山中には岩内城跡が残る。麓にも「岩内御所」なる館があったという伝承があり信ぴょう性は定かでないが、これは瑞巌寺の場所とも重なる位置になるかもしれない。

これらの遺跡との関連性は時代も必ずしも同じではないが、さまざまな生活用途を経てきた当地の歴史の中に瑞巌寺を位置づけなければならない。

瑞巌寺の横を流れる岩内川は別名・観音川とも呼び、寺の南の山を観音山と呼ぶが、この自然環境自体が当寺および庭園としての素地だったのだろう。

渓流沿いに残る雄滝、そして男石、女石、他の露岩群の多くは自然のままの景観であり、それらが墓域となり、城郭に選ばれ、岩の名を冠する瑞巌寺が建った。
自然環境と歴史的痕跡の間には、有機的な影響が相互にあったという前提で考えたい。

岩内川(観音川)

川沿いに散在する岩石群

「男石」と「女石」の標示がある。対岸に目立つ巨石は見当たらない。

女石がどれを指すのかと下をのぞく。

対岸側ではなく、川沿いの垣の一部を指すのか情報収集不足。

いつの時代からかはわからないが、渓流沿いに露出する自然石に聖性を見出したところに信仰の端を発し、やがて石観音としての半自然・半人工の仏教霊場へ展開していったのではないか。

しそ飯でにぎわい再び 岩内の名勝・瑞巌寺で来月 石のアーチ橋や梅園も整備

檀家をもたない祈願寺で、無住の寺となって荒廃の一途となるを憂いだ地元の有志の方々が、ふたたび当寺を盛り立てる活動をされているらしい。

全国的にも珍しい石橋、名物のしそ飯と併せ、岩石信仰の観点からも再注目されることで、現地に残る数々の岩石の歴史の掘り起こしにも期待が持て、陰ながら応援したい。

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