文化地質研究会の10月例会で講演をすることになりました。
文化地質研究会は、人類と地質の歴史的関係を研究する学問「文化地質学」の研究組織です。
従来は理系のアプローチが多かった地質分野に、人文学の視点も取り入れていこうという方向性ですね。
コロナウイルスの影響を受けて、今年度はZoomアプリ上のオンライン講演会という形式で研究会が行われており、10月度を私が承ることになりました。
概要は下記のとおりです。準備がんばります。
日程
2020年10月11日(日)午後3時〜4時半(講演60分+質疑応答30分)
講演テーマ
「岩石に神はどのように宿り、宿らなかったか―『古事記』『日本書紀』『風土記』を例に―」
※Zoomアプリの事前インストールおよび基本操作準備が必要です。
※文化地質研究会会員向けの講演会ですが、9月講演会では会員外参加も可能でした。数日前に会員向けにZoomのURL,ID,パスワードが連絡されるので、興味ある方は私か文化地質研究会へお問い合わせください。
講演要旨人は岩石と出会うとき、何らかの心理的影響を受ける。岩石そのものからの影響、または岩石周辺の環境からの影響、はたまた、その人が従前もっている知識や世界観によっても、心理的な受け止め方は変わってくる。
そのような、岩石に対する心理の中の一つの極致に岩石信仰がある。岩石を見た時に素通りする人もいる一方で、その岩石を神のように崇めるケースや、神に関わる聖なるものとして岩石を取り扱う例がある。
なぜ、岩石に神は宿ったり、宿らなかったりするのか。言い換えれば、人はどのように神宿る岩石と神宿らない岩石を分けて、岩石に心理的なグラデーションを与えるにいたったのか。
歴史学上では、これらは主に磐座や石神といった概念で説明されることが多かった。今回の内容では、主に民俗学・考古学における諸研究をふりかえる。岩石信仰のすべてをふりかえるとテーマが広がりすぎるため、今回は「岩石への神の宿りかた」に絞ることにする。つまり、岩石に対して神は一時的に宿りに現れるのかという磐座的な発想と、それとも、岩石に常に神は内在するのかという石神的な発想の、大きく分けて二極である。
本居宣長、柳田國男、折口信夫、大場磐雄の古典的研究以来、この分野は長らく上記の磐座・石神の概念にとどまってきたが、近年では祭祀考古学の分野において依代概念への批判が起こり、新たに「御形」(御形石・像石・神像石も類語)の概念も提唱されている。このあたりの研究状況といまだ残る疑問点についても整理したうえで、私案の分類についても比較していく。
そして、今後の研究に資する一つのアプローチとして、そもそも『古事記』『日本書紀』『風土記』を始めとする奈良~平安時代の文献記録に登場する岩石たちが、従来通説的にいわれていた解釈に収まりうるものなのか、改めて捉え直す必要を感じる。いくつかの興味深い記述を抽出しながら問題提起をしていきたい。
このように、最古級の文字記録における岩石の世界観を輪郭づけられれば、今後、文字がなかった時代の岩石の心理を考える際の出発点となるだろう。それはすなわち、言語化されていない岩石すべてへの解釈にも大きな弾みとなるものと考えている。
・参考リンク「文化地質研究会 今後の予定」
https://sites.google.com/site/bunkageology/home/07
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