茨城県日立市大みか町
大甕神社。宿魂石の石碑が建つが、宿魂石は背後の岩石だけでなく岩山全体を指す。 |
上写真の左に見切れている岩石が神籠石。探訪時は注連縄もなく特定できなかった。 |
天津甕星が石化した事例として知られる。
高天原から降臨した武甕槌神と経津主神に対し、常陸の天津甕星、またの名を天香香背男と名乗る星神が強く抵抗した。
武甕槌神・経津主神はこれに手を焼き、文武に優れた武葉槌命を派遣することで、とうとう天津甕星を服することができた。
天津甕星は岩石に姿を変えたが、その後も、日に日に岩石が大きくなる。
そこで、武葉槌命は岩石を蹴り上げて破壊し、その上に社を建てることで、まつろわぬ星神を鎮めた。
これが大甕神社の始まりといわれ、社殿の下に鎮まる岩盤(岩山全体)を宿魂石(しゅくこんせき)と呼んでいる。
また、神籠石(しんろうせき。神篭岩とも表記)という岩石が、拝殿向かって左手前にある。落ちそうで落ちそうでないことが神秘とされたとの神社公式説明が付される。神籠石に布を打ちつけると、布が長持ちするという信仰も付帯しているという。
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