岡山県倉敷市西尾
弥生墳丘墓~古墳時代の群集墳が分布する王墓山丘陵の南端に、真宮神社が鎮座する。
真宮は「しんみや」「まみや」両方の読み方が併存しているらしい。
社殿の周囲を51個の岩石が囲み、やや南北に広がる楕円の形に巡っている。
さながら環状列石内に佇む神社という表現がふさわしい。
社殿は南面しており、社殿の参道入口にあたる南側だけは、参道の石段が築かれているため列石は巡っていない。
石段が作られる前に、南側にも列石があったのかどうかは分からない。
この列石群は楕円状ながらも密に環状の配石を示し、人為的な遺構であることは疑いないが、その歴史的評価となると、解釈が難しい存在と言わざるを得ない。
周囲には真宮古墳群をはじめ王墓山の諸墳墓群が築かれているが、それをもって弥生時代の遺構と同列に扱うのは短絡的で、古墳・神社・列石のそれぞれの先後関係がわかっているわけではない。
真宮古墳群 |
横穴式石室の露頭の一部とされる。 |
慎重に述べるなら、神社と古墳と列石を安易にリンクすることは後回しにして、それぞれ別時期に造られた可能性を視野に、批判的検討がなされるべきだろう。
たとえば、神社の前身となる祭祀場がこの環状列石であり、その周りに古墳を造成したという解釈は恣意的である。
同様に、これら配石が元は古墳石材であり、墓域としての利用が終了したのち神社を創建し、その際に一種の玉垣として石材を再利用したという解釈も、対極的な意味で恣意的である。
いずれにしても、相対年代的な推定が許される資料が見つからないことには、アンタッチャブルな岩石案件として居続けるしかないだろう。
現状の景観としては、自然石をもって環状に区画した神社の玉垣事例として位置づけられる。「磐境」事例として呼ぶ向きもあるかもしれない。
この種の類例としては、他に滋賀県犬上郡多賀町の調宮神社、滋賀県東近江市の船岡山、徳島県三好郡東みよし町の金丸八幡神社など、数えるほどしか確認しておらず、珍しい資料と言える。
また、神社を抜きにしても、吉備地域には吉備津彦神社境内の五色島上「環状列石」、吉備の中山にかつてあったという11個の環状列石「内宮石」(現存せず)、吉備中央町(旧賀陽町)湯山の環状列石群など、時期と規模の大小の差はあるが、環状に岩石を並べる地域性のようなものが浮かび上がらなくはない。
それを「弧状」とまで言うと楯築遺跡の弧帯文石と絡めてしまいそうで、また恣意的の謗りを受けそうなのでこれまでにしておく。
境内にある石祠。下の岩石は「蛇頭岩」の名もあるらしいが、呼称の初出時期は不明。 |