岡山県総社市秦
『延喜式』神名帳記載の「備中国下道郡 石畳神社」に比定されている。
現在は高梁川沿いに屹立する高さ約55mの岩峰をまつる神社であり、方形状の岩石が塔のように集積する様子を、石畳と称するに至ったものと思われる。
人為的に積み重ねたのではなく自然の産物であるが、上部は崩落防止のため補強跡が見られる。
岩自体が神なのか、神が宿る体のようなもの、はたまた神殿代わりなのかなど、判断するための資料が欠ける。万葉集に当社の「石畳」を指したといわれる歌もあるが、確定ではない。秦の地名から当社の祭祀を秦氏との関連で問う声もあるが、これもわからない。
現地看板やものの本、インターネットには神体・御室・霊代・磐座・石神といった表現が見られ、あたかも石の言葉の博覧会状態の如く氾濫しているが、いずれも近代以降に使用されはじめた用語を繰り返しているものであり、管見の限り古記録に明記されているものではない。
地名としてはほかに、当地の字(あざ)が「石村」であり、当社の山を石畳山や茶臼嶽と呼んだという。
「村=群れ」にしても「畳」にしても、岩石の垂直的な集合体である岩峰をこのように表しているのは興味深いが、事物でたとえる以上の神聖視は読み取れない。
聖なる岩石であることは疑いないが、延喜式当時はおろか、近世以前の岩石と神の関係性にも不明点は多いと言わざるを得ないだろう。
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