徳島県名西郡神山町鬼籠野元山
「阿波國ノ風土記ノゴトクハ、ソラヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。」(秋本吉郎校注『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店 1958年)
神が天より降りし時、阿波国の「アマノモト山」に降り、その後、アマノモト山が砕けて大和国にその欠片が落ちた場所を大和三山の一つ、天香久山に当てるという伝説である。
文永六年(1269年)成立の『万葉集注釈』の中で、今はなき阿波国風土記内の記述として収録されている(いわゆる阿波国風土記逸文)。
伊予国風土記逸文にも、天降りの時に山が二つに割れて伊予国と大和国に落ち、それが現在の伊予郡の天山と大和国天香久山であるとする類似伝説が残り、四国においてある程度流布していたタイプの話だったのかもしれない。
さて、阿波国風土記逸文のこの「アマノモト山」の候補地は複数あり確定に至っていない。剣山に当てる説、そして吉野川市山川町のノリト山に当てる説が代表的とされるが、ここにもう一つ加わるのが今回紹介する、神山町の立岩神社である。
横幅、高さともに20mはあろうかという巨大な岩塊であり、全体としては三角形~オムスビ形の輪郭をなすが、おそらく同一の岩体から亀裂が入り2つの岩を組み合わせたような特徴も有す。
所在する字名は「元山」である。「アマノモト山=天の元山」に相応しい地名だが、このような時は当地の「元山」地名が文献記録上いつまで遡れるか、地名の批判検討が必要だろう。
中近世から至るこれまでの風土記の注釈者が、立岩神社をアマノモト山の候補地に挙げなかったのは、単に知られていなかったというより、当地に現在普及している歴史情報が、いつから定着したものなのかという疑問から入ったほうが良い。
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立岩神社の境内下斜面 |
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立岩神社の神門には看板が複数掲示されている。 |
立岩神社には阿波古事記研究会や古代神山研究会が手掛けた看板が賑々しく掲げられているが、これらは後世的な解釈の賜物であることに注意しなければならない。
ましてや、「天岩戸立岩神社」として天岩戸伝説とつなげようとしている看板説明は、かなり批判的に見る必要がある。岩に入る亀裂が天岩戸を彷彿させるといった主観で結びつけられたのならそれは歴史的には由々しきことである。
元は天岩戸伝承は当地になく、社名は立岩神社だけだったと思われる。
なお、東の徳島市に同名の立岩神社があり、当社の亀裂を陰石、徳島市立岩神社の陽石をもって陰陽関係にあるとセット的に扱われることがあるが、必ずしもこの関係も確定したわけではない。
立岩神社(徳島県徳島市)