徳島県徳島市多家良町
巨岩をまつる神社であるが、その沿革のほとんどは定かではない。
現地看板には、陽石と玉石からなるとか、天津麻羅をまつるとか、たたら鍛冶との関連のある信仰など記されているが、このあたりは看板を立てた時の郷土史家の研究など、後世的な所見が反映されている可能性を考慮しなければならない。
昭和2年に金谷氏子中の名で奉納された石鳥居から、戦前における集落内での信仰がかすがに窺い知れる。
近くには山方比古神社が鎮座し、当社はその末社の関係にあるともいう。延喜式内の論社としてその起源を争う候補地でもあるようだが、このあたりも後世的な論争に伴うもので、確かな文献記録は現在のところとりつくしまがない。
同名の立岩神社が西の神山町にもあり、二社はしばしば並列的・対称的関係として語られることがある。
この二社を結びつけるのも、現地の郷土史家で一時期流行った阿波邪馬台国説やそれに伴う超古代史論の影響を加味する必要があるだろう。
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