大阪府交野市星田 小松神社
弘法大師が獅子窟(現・交野市の獅子窟寺)で修行中、空から北斗七星が降臨し、交野ケ原にある妙見山、光林寺、星の森の3ヶ所に分かれて落ちたという。
妙見山の頂上には巨石がまつられており、半ば北斗七星を顕現した神体として、これを中心とする星田妙見宮が創祀された。
(巨石=落下した北斗七星そのもの、と明確に記されているわけではない)
星田妙見宮の拝殿奥に控える岩石。 |
織女石の説明。 |
岩石の近影。 |
岩石の裾に瓦が集積している。 |
奥にもう1体の岩石が見える。 |
もう1体の近景(拡大写真) |
上写真のように、現在、拝殿の奥には2体の岩石が注連縄を巻かれているのを確認できる。
現地には「織女石(たなばたせき)」の標示がなされており、説明によれば『河内名所図会』(1801年)にその名の記載があるという。
『河内名所図会』六巻の該当記述を捲ると、ルビには「をりひめいし」とあり、読み方は確定していない。
また、上記記述では妙見山頂に3つの巨石が存在する旨が記されているので、1体見落としているようである。
一方、当石の併称として影向石(ようごうせき/ようごういし)の名も根強い。
こちらは『妙見山影向石縁起』の書名にもなっており、社伝では貞観17年(875年)の古記録というからこちらのほうが古名にも見えるが、写本でもあり縁起製作年は自称だけでは心許なく史料批判も必要だろう。
このように当石は複数の名称および読み方が並立する存在だが、妙見石は妙見信仰、織女石は七夕信仰、影向石は仏菩薩の顕現を概念化したものであり、星田妙見の複数の宗教文脈のいずれかを選択することで主とする名、引いては名が示す岩石の性格が変わると見たい。
岩石を包含した当社自体、星田妙見の通称のほかに小松神社としての社名もあるが、いわゆる神社神道の括りで扱われる信仰にとどまらず、いわゆる妙見信仰をベースに置いた習合的な霊場・聖地としての理解がより適切である。
境内のおもかる石 |
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