三重県名張市滝之原
滝之原の集落から南へ4km、名張川が切り開いた山間部の切り立った山腹斜面上に赤岩尾神社が鎮座する。
赤岩尾神社は、明治時代の神社合祀令によって同地区の国津神社の摂社として合祀されたが、現在も立派な道標や社殿など諸設備を有し、例祭も執り行なわれている。
合祀令で途絶えることのなかった信仰の強さを示すが、それは現地に残る自然岩の景観から聖地となった場所で、いまだに人々を惹きつける聖性が残っているからだろう。
赤岩尾神社は山中の辺鄙な立地で本来参拝も大変だったことだろうと思われるが、現在は駐車場が整備されており、そこに車を止めれば入口から徒歩5~10分で拝殿に到着する。
赤岩尾神社の直下の名張川には比奈知ダムが造成されている。 |
赤岩尾神社駐車場に「赤岩神社」の碑が立つ。 |
神社入口にまつられる「山の神」 |
赤岩尾神社 |
拝殿の背後に、一大岩壁「赤岩」がそびえる。
上部は「お俵石」、下部は「屏風岩」を体現する柱状節理の造形を見せる。凝灰岩といわれ、赤みを帯びる岩肌から赤岩の名が生まれたのだろう。
この場所から30m先に歩いた境内に風穴が存在する。
『なばりの物語』の聞き取りでは「夏は冷たく、冬は温かい風が吹く」との話だったが、現地看板には「年中同じ温度の風が吹く」とあった。
岩洞/風穴 |
風穴に手を入れてみたが、私が訪れたのは2月で風が強めの日だったこともあり、風が吹いているのか吸い込んでいるのかは感じ取れなかった。
Web上にはすでに貴重な情報がある。
まず、名張高校郷土研究部が1980年に発表した『なばりの昔話』をサイト化した「なばりの昔話 国津・比奈知編 赤岩さんと千方将軍」(2009年2月21日閲覧)には、明治~昭和初期生まれの方の話として下記が紹介されている。
- 赤岩尾神社の通称は「赤岩はん」。
- 赤岩尾神社にまつられている岩の名は「赤岩」。赤茶けているから。
- この岩山を赤岩尾と呼ぶ。
- 赤岩は、屏風のような「屏風岩」と、米俵を積んだかのような「お俵石」から構成される。
- 小岩尾という所に風穴があり、夏は冷たく、冬は温かい風が吹く。
- 藤原千方(この辺りの地域で四鬼を操り朝廷と対抗した伝説上の武将)が武運長久を願った神社で、朝廷の追っ手が来た時は風穴に身を潜めたという。
- 近くに穴尾山、高座山があり、穴尾山には恵比寿岩・大黒岩という岩石、高座山には藤原千方の馬の蹄跡が残る「千方の飛石」があるという。
- 山の麓には子安地蔵があり、藤原千方のように強い人になって長生きするという信仰がある。
次に、伊賀藤堂藩の藤堂元甫らが主導して1763年(宝暦13年)に完成した『三國地誌』にも赤岩尾神社に関する記述が登場する。
『三國地誌』の原文と現代語訳を載せている巫俊さんのサイト「『三國地誌』現代語訳wiki」の「巻之八十 伊賀国 名張郡 山川」(2009年2月21日閲覧)を参照すると下記のとおりである。
- 高座山に、藤原千方の飛石がある。
- 高座山に、嬰児が長命になる小売地蔵がある。
- 赤岩尾山の山頂に岩窟があり、夷石、大黒石の名がある。
- 赤岩尾山にある岩洞と屏風岩は奇岩である。
上のうち、赤岩尾山の「岩洞」が『なばりの物語』に登場する風穴を指し、「屏風岩」が赤岩を指すのだと思われる。
赤岩尾神社境内に広がる岩の群れ。赤岩尾山全体がこのような地形的特徴をもつ山なのだろう。 |
赤岩のほかにも柱状節理の露岩が散見される。 |
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