東京都西多摩郡奥多摩町日原
日原鍾乳洞は奥多摩の観光地として関東では知られた存在であるが、かつては「一石山の御窟」「一石山の御岩屋」と呼ばれ、江戸時代には多くの修験者らが足を踏み入れた行場だったといわれる。
日原鍾乳洞入口 |
現在も鍾乳洞の内部には「弘法大師学問所」「さいの河原」など、それらしき名前が付けられたポイントが点在しているが、観光地化の影響を少なからず受けているため詳細はわからない。
洞内の「弘法大師学問所」 |
鍾乳洞の隣に一石山神社が鎮座する。
かつては一石山大権現の名を称し、その沿革を見るに山岳仏教に端を発する霊場だったと推測されるが、日原鍾乳洞は一石山神社の神体だったと社頭掲示に記される。
その一石山神社の背後に、籠岩という断崖絶壁の岩山がある。
籠岩 |
岩山の下部 |
日原集落と日原鍾乳洞の間には「オガム所」と呼ばれる場所があり、ここで北西にそびえる天祖山、北東にある籠岩、南西にある稲村岩を遥拝したという。
天祖山には立岩権現が宿るといい、立岩権現が秩父へ神幸する間、人はオガム所より奥には入っていけないといわれていたという。
(なお、天祖山のさらに西方の山奥に「光り石」という岩石があり、辺りが暗くなると発光したというが、昭和に入ってダイナマイトで壊されてしまったらしい。)
この天祖山と並列して籠岩も遥拝対象であったのなら、単なる岩山ではなく神聖視の領域にある岩石祭祀事例と位置づけられる。
また、日原鍾乳洞の後方には梵天岩という岩峰が屹立している。
梵天岩 |
元々は同じような形の岩が6つ突き出ており「六本岩」の名があったが、現在残るのは梵天岩1本のみだという。
このような奇岩怪石の一つ一つを行場と位置づけ、神体たる洞内で行を修めることで神人合一と考えたのかもしれない。
出典
「奥多摩駅←→鍾乳洞 路線バス 日原街道 地元学マップ」(鍾乳洞受付で入手)
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